●東洋的リーダーシップは存在の説得力
まず「放勳欽明」とは、「放つ勳(いさお)は欽明にして」ということです。放つ勲には、武士の「武」、武力の「武」が隠されています。隠されている字を表す文章は、中国古典にたくさん出てきますが、ここでは、次に説明する文思の「文」と相まって、文武両道の根本のことをいっています。つまり、陰陽を形づくっているわけです。
「放勳」、要するに、武勲とは放たれるもの、ということです。放たれるとは、自分で自慢げに「こうやった、ああやった」と話すものではなく、また、誰かが文書にして明らかにするものでもないということです。その人の体から有無を言わせず放たれていくことが、その人のこれまでの業績なのだ、ということです。放たれるべくして放たれるべきものだということです。
ですから、東洋的リーダーシップが西洋的リーダーシップと大きく違う点を一つ言えば、要するに存在こそが説得力を持つということです。存在そのものが説得力なのだということが東洋的リーダーシップ論の基本だというのは、そういう意味なのです。その人は何も言わないけれど、その人の体からにじみ出てくる、あるいは放たれる百戦錬磨の経験や、前回申し上げた精神基盤がとてつもなくしっかりしている、つまり人間としての総合力に満ちあふれている人物が、東洋流の理想像でした。それが、「放勳欽明」ということになると思います。
●リーダーの前提は業績を挙げること
現代のビジネスに置き換えて説明するならば、リーダーならば業績くらいは挙げてほしいと言っているのです。業績くらいは挙げてもらわないと困るのはなぜかというと、業績を挙げた経験のないリーダーの言うことは、下の人はなかなか聞きづらく、説得力に欠けると思うのですね。自分の仕事をきちんとやってきた人、果たしてきた人がリーダーの前提になると思いますので、そういう意味で、業績くらい挙げてほしいということです。
もう一つ、業績を挙げることは、同時に創意工夫の総決算でもあるのです。要するに、どうすればうまくいくのかは、創意工夫をする以外にありません。年がら年中、創意工夫をして、「こうやったらどうだ」「ああやったらどうだ」と言って、いろいろなことを考えて実行し、また考えて実行するという、その繰り返しなのです。そうやって、ようやく業績は挙がるものなのです。そうい...