●「闘いの人生」を貫けたのも自分を脱却していたから
―― それにしても、すごいファイトです。中華民国が国連に切り捨てられ、中国共産党が入ってしまう。孤立無援の中で、蒋介石から蒋経国に移り、その中で台湾を今の地位に持っていく。産業も自主自立の下で、あれだけITで花開かせる。素晴らしいです。
江口 だから李登輝さんの人生も闘いの人生だったし、松下幸之助さんの人生も闘いの人生だったと思います。特に松下幸之助さんは見た目が弱々しいというか、「蒲柳の質のおじいちゃん」という感じです。だけど23年間、松下幸之助さんと一緒に過ごした私から見れば、ものすごく芯の強い人です。プライベートのほうが多かったですが、平たく言えば気の強い人です。李登輝さんもそうです。
―― 両方とも気が強かった。
江口 気の強さや芯の強さがどこから出てくるかというと、松下幸之助さんは自分が考えた「(宇宙の)根源」という一つの哲学に拠り所を持っていた。その強さがあります。李登輝さんの強さは、やはり信仰です。あるいはキリスト教、プロテスタントで、敬虔なクリスチャン。実際、李登輝さんが「指導者にとって何が大事ですか」と聞かれ、一番最初に必ず挙げるのが信仰です。
―― 1番目に信仰を持ってくるのですね。
江口 普通の指導者なら、そんな挙げ方はしないと思います。「信仰」とは即ち、そのあとに出てくる、自分の考え方をひと言でまとめた「私は私でない私」となるのです。
―― どこからの目線で見ているか、対峙するかですね。
江口 自分から脱却することが、指導者なり、リーダーには大事です。そして脱却したあと、高いところにたどり着けるかどうかだと思います。
―― その意味で江口さんの中で、松下幸之助さんと李登輝さんは、すごく似ているのですね。両方とも気が強く、それを裏付ける信仰がある。それはクリスチャンであろうと、「根源(の社)」であろうと同じなんですね。
江口 だから、私の場合は自分を脱却して、松下幸之助の目線、あるいは政治を見るときは李登輝さんの目線になる。自分から脱却したときに頼るべきものが李登輝さんと松下幸之助さんだったことは、ぼんくらな私にとっては非常に幸いでした。運が強いというか、恵まれていると思います。
●経営者は「誠の道」を貫き通せるが、政治家は……
―― 江口さんは経営者と政治家、両方やられたじゃないですか。経営者と政治家は、どこが似ていて、どこが違うのでしょう。
江口 経営者は、誠実を貫くことができるのです。嘘をつく、騙す、裏切る人たちは多いけれど、「誠の道」を貫き通すということは、経営者にはできます。だけど政治家には、「誠の道」を貫いては成るものも成らない場合があります。いわゆる駆け引きがある。
だから、これまで言ってきたように、水面下で動かなければいけないことも出てくるのです。実際には私がやっているけれど、それを表に出さない。出さないほうが、うまくいく場合があります。
―― 結果が出ると。
江口 松下幸之助さんの本にもありますが、松下電器の目標を掲げるのです、昭和30年に。その時、「この目標を達成するのは当然だけれど、目標を達成する仕方も気をつけてくれ」と、経営方針発表会で言っているのです。
―― 「仕方も気をつけてくれ」ですか。
江口 勝つ美学と勝ち方の美学を、もうその時から言っています。だけど政治家の場合は、勝ち方を時と場合によっては隠さなければならない。ある面では負けるけれども、最後には勝つことを優先すべきということもあるのです。ただしその場合、「国家国民のため」という目標がなければダメです。
だから経営者の場合、「国家国民のため」「世のため人のため」という誠実を貫き通すことができる。だけど政治家は国家国民のために、いろいろな手を打たなければいけない。孫子を活用したり、孔子を活用しなければいけない。そこで政治家は、往々にして堕落していく人が多いのです。
―― 政治家は2割ぐらいがまともな人で、8割ぐらいはおかしな人がやっていると言われます。経営者のほうが、もう少しまともな人の比率が高いです。
江口 そういう志を持てば、経営者の場合、多くの人がついてきて、応援してくれます。多くの成果を得て、松下幸之助を超えることもできると思います。だけど、勝つ美学を追い求めて、勝ち方の美学を政治家と同じようにしてしまう、要するに自分の信念を言い抜かないということになると、それは「誠の道」ではない。だから、自分の信念を通すことで、たとえ自分が批判されようが、あるいは殺されようが、それを貫いていく。それができれば、松下幸之助を超えることもできる。
政治家でも、もしそれを貫くことができるなら、勝海舟みたいな存在になり得るでしょう。明治維新がなっても、天下...