●船場商人と松下幸之助はどこが違うのか
── 松下幸之助は丁稚に出され、丁稚奉公の間に両親に死なれ、葬式にいけたかどうかもよく分からないような境遇で育ってきて、兄弟も多くが死んでしまっているし、非常に苦労されていますよね。苦労している人は基本的には自分の力に恃(たの)むところが多く、「自分でやってきた」という思いが強いため、人を育てるのが非常に下手な人が多い。ところが、松下幸之助はそれとは正反対なので、とても不思議に思います。
江口 幸之助は大阪の船場で修行しています。船場商人と松下幸之助はどこが違うのかと言ったら、船場の主や船場で丁稚を経験した人たちの考え方の基本は、「私」なのです。幸之助の面白いところは、「自分の店が大きくなって、自分の店の給料が上がればいい」という船場で学びながら、「公」という考え方を自分の中に持ち込んだことで、これはすごいことだと思います。
── 「私」しか考えていないような船場という環境の中で、「パブリック(公)」に気づくわけですね。この落差は、普通の人では考えられないですよね。
江口 ここのところは、幸之助の発想の面白さだと思います。なぜ、船場の「私」から「公」という発想が出てきたか。それは、昭和7年に天理教に行って、「産業人たるものの使命」というところから、「公」に目覚めたのではないか。船場の商売のやり方をベースに、天理教に行って知った「産業人の使命」が結びついて、「公」というところを考えついたのではないかと思います。
●日本的経営の流れを受け継いだ松下幸之助
── 天理教で給金ももらわず、むしろ自分でお布施を持ってきて、汗水たらして一生懸命働く信者の姿を見たときに気づいたのでしょうか。
江口 いわゆる「無私の奉仕」ですよね。公に尽くすときには損得を抜きにして、自分自身を成長させるために一生懸命仕事をしたり働いたりするのだということを悟ったのではないかと思います。その時、松下幸之助は、日本的経営の一つの流れに沿うような経営を展開するようになるわけです。例えば江戸時代初期の鈴木正三の「何の事業も皆仏行なり(仕事というのは信仰なのだ)」などの流れです。
── 仕事と信仰は、修行すれば同じだと言うのですね。
江口 仕事とは、金儲けではなく信仰なのだ、と彼は言っています。石田梅岩になると、仕事というのは「諸行即修行」に...