●学生時代から「億万長者になる」と決めていた
高橋 大学を出たときは、そのまま電気会社に勤めて、5年ぐらいで辞めようと思っていました。5年で辞めて、いずれにしても自分で事業をやろうと思っていて。もともと学生時代から「絶対に社長だ」と思っていました。基本が「社長」なのです。それ以外に何も考えませんでした。
「何をやりたくて、社長になるの?」というと、何でもいい。自分から、これをやりたい、あれをやりたいというのは、全くないのです。自分の今扱える商品の中で、社長をやりたい。「何のために社長になりたいの?」というと、要はお金儲けのためです。だから、「俺、億万長者になるぞ」と思っていました。
では、億万長者になぜなるのか。億万長者になったら、好きなものを買えるでしょう。車は買える。家は買える。海外旅行に行ける。何でも好きなものを買えるではないですか。
だから、億万長者。億万長者は、使っても使っても使いきれないお金が入ってくる。要は、使ったらなくなってしまうものでは駄目なのです。使っても、入ってくる。それ以上のお金が入ってきて、残っていくのが億万長者ではないでしょうか。
例えば、100億も200億ものお金を持っていても、使わない人がいる。使わない人は経済に役に立っていない。大事に持っているだけだ。しかし、僕は違う。稼いだら使う。ばんばん使って、さらに稼ぐ。あるいはお金が入ってくる。学生時代から、そういう感覚がありました。
●「背広を着てビジネスしたい」と痛感した家業のお米屋さん時代
高橋 そう考えると、「家業のお米屋さんでは億万長者になれないな」と思ったので、やりたくはなかったのです。それに、ジーパンとジャンパーを着ているのが格好悪いとも思いました。
僕の友だちは皆、ソニーやIBMなど大手の電気会社などに行って、背広を着ていた。たまに会うと、「いやもう、俺だけなぜこんな恰好なの?」などと、いても立ってもいられない。やはり少し格好がつかないように感じました。
それで、お米屋さんをやり始めて4、5年ぐらい経った頃から、「絶対に背広を着て商売できるビジネスをしよう」と思ったのです。なぜ「背広を着て」なのかというと、コーヒーを飲むときでも、背広姿でコーヒーショップへ入るというだけで、格好いいと思ったからです。
もちろん他の人は格好いいとは思わないかもしれないけれど、僕は格好いいと思った。それは、「できないから、格好いい」のです。できないことは、すごく格好いいですね。
●不動産屋になった理由は、「価格が高いから」
―― 高橋さんは5年くらい、お米屋さんをやっていたのですね。
高橋 いや、実質上は5年以上でした。お米屋さんをやっている中で、「これではなくて、もっと儲かる商売はない?」と考えて思いついたのが不動産会社なのです。
なぜ不動産かというと、日本中、世界中でも同じですが、一番高い商品を扱っているからです。例えば車だと、ベンツだポルシェだといっても、大体2000~3000万円で買えます。でも、家はそれでは買えないですよね。安くて3000万円。高いと1億も2億もする。
この商品を売って、手数料は3パーセントもらえます。1000万円の物件でも10億円の物件でも3パーセントです。これは1000万円だと30万円だけど、10億のものを売れば3000万円もらえるのです。
「こんなに儲かっていいの?」というぐらいで、ビジネスとしては最高に面白い。だから、これをやろうと思ったのですね。
―― 高橋さんは、最初から建売住宅に入っていったのですか。
高橋 いやいや、お金がないですから。もともとはお米屋さんをやっていて、30歳から突然「不動産屋を始めるぞ」と。
28歳で宅建取引主任者の資格を取って、29歳のときに7店舗やっていたお米屋さんを、店長の皆に任せることにしました。毎週月曜日の朝7時から2時間だけは僕が行くから、打ち合わせは全部そこでしようと言って、7店舗のお米屋さんも全部見ながら一人で不動産を始めたのです。
―― それは、すごいですね。
●「仕切り」の業界用語を知らずに、まさかの失敗
高橋 しかも始めるときに、どこにも見習いに行きませんでした。見習い経験なしでいきなり始めたから、分からないことばかり。とにかく不動産の業界用語が分からない。
「これ、仕切りだよ」と言われたり、「あんこだよ」って、何のことを言っているのか分からない。それで一度失敗したことがありました。
1200万円の中古住宅を売るのに、お客さまを紹介しました。そのとき「1200万仕切り」と書いてあったのです。「仕切り」の意味が分からないまま、何でも手数料はもらえると思って、お客さまを紹介しました。
契約成立時、...