●「それもまたよし」を生んだ中国古典
── 江口さんに今日どうしてもうかがいたかったのが、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の読んだホトトギスの俳句をもじって、松下幸之助が「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」という言い方をしていたことです。これは、松下政経塾の思い出として強く残っています。いろいろな人を育てようとしても、なかなか人は育たないもので、育つ人もいれば、なかなか育たない人もいる。松下幸之助は「それもまたよし」と考えたのでしょうか。
江口 そうでしょうね。これは中国の話ですが、昔とても人徳のある人がいた。そこへ来た人が、「あなたは人徳があると言われています。さすがですね」と言うと、「それもまたよし」と言う。別の人が来て、「あなたは人徳があると言われているけれど、それは表面的なことで、ボロボロに言う人もたくさんいますよ」と言うと、「それもまたよし」と言った。また別の人が来て、「うちの子どもが病気になって、今にも死にそうになっている。悲しくて仕方がない」と言ったら、「それもまたよし」と言った。そこで奥さんが「それはないでしょう。わが子が病気で、一言でも慰めの言葉をあなたに言ってもらおうと思って来ている相手に、『それもまたよし』はないでしょう」と言うと、「それもまたよし」と答えたという話があります。
中国古典に出てくる、この「それもまたよし」には奥深いものがあると思います。これは歴史の本に載っていたかもしれないけれども、「それもまたよし」と言うその人が、「それもまたよし」でとどまっているかどうか。そこからが「人間道」の出番で、松下幸之助の場合は、そこに「あるがままに認めること」「容認すること(受け入れること)」、その次に「礼を尽くして処遇すること」が入っています。
●受容、容認する「またよし」には、その後がある
江口 「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」は、それらを前提にした「それもまたよし」なのです。信長、秀吉、家康、幸之助の違いをよく表しているので、よく引用されます。
幸之助は、「それもまたよし」でとどまっているのではない。「それもまたよし」だけれども、礼をもって処遇しないといけないわけです。だから、その時にどのような処遇をするかが問われます。
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス(織田信長)」「鳴かぬなら 鳴かせてみせよ...