●社会が乱れるのは全て上に立つ者の責任
「貞観二年」、太宗が帝位に立って2年目です。太宗は周りの側近に、「自分はこのところ思っていることがあるのだが」と言いました。「乱離の後」とは、世の中が大いに荒れてということで、それこそ心が離反しているようなときは、いろんな事件があったり、いろんな苦難があった後というのは、会社でも家庭でもみんなそうですが、「風俗」というのは社会生活上の規範や風紀ということです。
世の中、何かずいぶん社会が退廃しているとか、荒(すさ)んでいるなどというのは、全部風俗のことを言っているわけです。江戸時代の時も、それぞれの藩の風俗というのは全然違い、次の藩に入ったりすると、もう一目で分かるというくらいに風俗が違うと言われるほどでした。
そのような風俗、そういう社会から感じ取る雰囲気というものは、人間の心の集積ですから、そういうものは乱離の大乱の後ではなかなかよくならないだろう、「移し難し」、つまり変えることは難しいだろう、と太宗は思っていたというのです。
しかし、2年目にして、この「百姓」、国民を見ると、「漸(ようや)く廉譲(れんじょう)を知り」、廉譲とは、「廉」、心が清く、「譲」、他人に譲ることで、あなたからどうぞと譲るような、そういう廉譲を知り、「官人」、役人は、「法を奉じ」、法律をしっかり行き渡らせて、その結果「盗賊日に稀なり」、最近は盗人などがとても少なくなって、犯罪がものすごく少なくなりましたというわけです。
したがって、私は知ったと言っているように、人間には一定の風俗などはないということです。ひとえに「但だ政(まつりごと)に知乱有るのみ」、つまり上の行政あるいは政治、皆さんでいえば経営、トップという人のあり方によって、大乱になるか平穏無事でいくかなどは、全てそういうところにあり、上次第なのだということです。下にはもう一定の風俗などはない、上次第なのだということを、自分は痛感したと言っています。
そして、「是を以て、国を為(おさ)むるの道は、必ず須(すべから)く之を撫(ぶ)するに仁義を以て」は、つまり国民を常に撫で慈しむ、あるいは部下を撫で慈しむことが重要で、気づかってやることがいかに大切かということです。それは仁と義です。仁は慮(お...