●少しの利益のために大義を捨ててはいけない
次へいきます。ここで「臣竊(ひそ)かに聞く」、つまり魏徴がこう言います。謹んで私が聞いているところを申し上げると、「天の輔(たす)くる所の者は仁」、人徳のある人は天が必ず助けます。「人の助くる所の者は信」、つまり国民とか、あるいは取引先とか、関係者、社員が助ける経営者というのは、まさに誠実な人であり、信がある人だということです。
ここで、「仁」と「信」ということを挙げています。信というのは義だと思っていただいていいでしょう。義を尽くしていくことで信頼感が生まれるわけです。ですから、仁と義によって、結果的に信頼が生まれるというものなのです。
「今、陛下、初めて大宝に膺(あた)り」とは、天子の位に立ったときに、「億兆」というのは万民のことで、今度の天子、つまり前の隋の煬帝は徳も何もないトップだったが、今度のトップはどうなのだろうと言って、「億兆、徳を観る」となります。ここで何を見ているのかといえば、あなたの徳を見ているのですと言っています。つまり、トップの徳を見るのが社員なのです。
そして「始めて大号を発し」ですが、要するに免税、減税、税を免ずると言って、みんなを喜ばせたのですが、「始めて大号」を出します。これは、みんなが喜んでいると、前にもあったように、すでに納めた人も納め続けてくれというわけです。
「二言有り」です。「武士に二言なし」というあの二言です。「八表」というのは、遠い国の果てまで疑い心が生じてしまったという意味です。「四時の大信を失ふ」は、春が来れば夏、夏が来れば秋、秋が来れば冬というものが、突然春の次に冬が来てしまったような、そのような疑いを持たれてしまったということです。
そして「縦(たと)ひ国家、倒県の急有り」は、たとえ国家がもう倒れるかもしれないという大危機のときでも、「猶(な)ほ必ず不可なり」で、それをやっては駄目だということです。多くの人に不信がられるとか、トップの言っていることはまともに聞かないほうがいいと思われたりすることは、「不可なり」、やってはいけないと言っています。
「況(いわ)んや」、今この国は、「泰山の安きを以てして」、安泰で何の懸念もないというときに、なぜこのような馬鹿げたことをしたのですかと太宗を責めるわけです。「陛下の為めに此の計を為す者は」、結局、側近の誰かが、このようにされたほうがいいですというのを聞いて、では念のためにそのように言っておこう、というように太宗が乗せられてしまったというのです。
「陛下の為めに此の計を為す者は、財利に於ては小しく益するも」で、収入というものだけを考えれば、すでに納めてしまった人でもどんどん続けて納めてもらえば、少しはいいかもしれませんが、もっとも大切な利益である徳義においては、大いに損をした、大損したと言ってもいいのです。つまり、取り返しのつかない大損をしたということなのです。
「臣誠に知識浅短」、私は誠に知識がないもので、「竊(ひそ)かに陛下の為めに」、このようなことがあってはいけないと惜しみ、「伏して願はくは少しく臣が言を覧(み)て」、今回の私の言葉を少しでもいいから省みて、「詳(つまびら)かに利害を択ばんことを」、これからはつまらない少々の利益のために大義を捨てるなどということをしては駄目です。大義を貫いてくださいと言っています。
「冒昧(ぼうまい)の罪は」、私が無礼なことを今回申し上げたことにより、「がまんならん、あいつの首を斬る」というなら、どうぞ私の首を斬ってください、と。「臣の甘心する所」とは、どうぞ甘んじて受けますと言っています。これくらいに、臣下がしっかり言ってくれるというところがすごいのです。
ですから、まず側近をしっかりつくるということが重要だということが分かるのです。しかし、この魏徴でさえも、ちょっと失敗するところがあるのですが、それをくつがえすという下りをちょっと読んで、今日は終わりたいと思います。
●上に立つ者こそ本心をはっきり表明する
「貞観六年」、といいますから、帝位に就いて6年目です。「尚書(しょうしょ)右丞(うじょう)」という役職でかなり高官にある人が、たびたび出てくる魏徴についてこのような疑いがありますと太宗のところに言ってくるわけです。それは、「親戚に阿黨(あとう)す」と、自分の親戚を特別扱いしていますということです。
「太宗、御史大夫温彦博(おんげんばく)をして」、太宗は、そのように言ってきた人間がいるので、その役職に当たる温彦博に、「其の事を案験せしむ...