●危機の時代、見習うべきリーダー・徳川家康
皆さん、こんにちは。
日本において、今コロナをめぐる禍というものが、国民各層においてさまざまな形で論じられています。全体として見ますと、国家あるいは国民にとって、戦略的にコロナの問題をどのように解決したらいいのか、というと、そういう意味での総合的な政治戦略、あるいは国家的な戦略、ひいては国民的な戦略が求められます。国民においては政治、生活、国家においては政治、経済、そして歴史的な進路という意味では、国と国民の一体化した進路というものが、国民の不安をいかに取り除き、そして、国民を幸福と安寧に導くのか。こういう積極的な意味でコロナ禍というべきものを危機として乗り越える、そのためのリーダーシップ、あるいは政治家の責任というものを問われるのだと思われます。
この際、歴史上の人物で私たちが見習うべきリーダーというものを、かりそめに考える。そういう試みがあちらこちらで行なわれています。最近では後藤新平などが盛んに取り上げられていますし、私も彼を高く評価したいわけです。ただ、こうした近現代の人物ではなくて、もっと日本史を全体として長い射程で見た場合、やはり私は徳川家康という人物を推したいと思うのです。
●総合政治戦略と国家戦略の最適な組み合わせ
家康は徳川政治体制を築き上げてから、250年以上の平和をもたらした、その実績もさることながら、各種の戦略や戦術、いろいろな総合的な政治や経済の戦略的な道筋を見事に組み合わせた点で、大変見習うべき点が多いかと思います。
家康はまず、歴史的には応仁の乱以降の混沌、カオスにピリオドを打ち、天皇を中心とした国家体制を復元しながら、実際の政治は徳川幕府が担うという政治システムをつくりました。まさにそれは当時、日本にとって最適の国家戦略でした。
総合的な政治戦略として申しますと、「水も余りに綺麗ならば魚は住まない」という言葉、これは『後漢書』における言葉であったわけですが、そういう言葉を引いたように、さまざまに果断な勇気ある人事を厭わなかったわけです。必要であれば豪商、あるいは彫金師、または猿楽師、下級武士、凋落、落魄(らくはく)した公家、そして名門の落伍した武家たちはもとより、ウィリアム・アダムズ(三浦按針)、あるいはオランダ人のヤン・ヨーステン、イギリス人のアダムズと並...