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危機の時代に見習うべきリーダーは徳川家康である

危機下のリーダーシップ、その要諦とは(1)徳川家康のリーダーシップ

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
徳川家康
コロナ禍のような危機下のリーダーシップについて考察するシリーズ講義。今回は歴史上抜きんでたリーダーシップを発揮した徳川家康に焦点を当てる。家康は乱世に終止符を打ち、徳川幕府による政治システムを整えた国家戦略と、究極の人事システムと行財政機構をつくり上げた総合政治戦略を組み合わせた。さらに庶民の豊かな日常生活の基盤を確立する戦術にも長けていた。家康は政治家としての明快なメッセージ性で人々の信頼を得つつ、こうした戦略・戦術を見事に推進したのだ。(全3話中第1話)
時間:11:58
収録日:2020/07/17
追加日:2020/08/23
≪全文≫

●危機の時代、見習うべきリーダー・徳川家康


 皆さん、こんにちは。

 日本において、今コロナをめぐる禍というものが、国民各層においてさまざまな形で論じられています。全体として見ますと、国家あるいは国民にとって、戦略的にコロナの問題をどのように解決したらいいのか、というと、そういう意味での総合的な政治戦略、あるいは国家的な戦略、ひいては国民的な戦略が求められます。国民においては政治、生活、国家においては政治、経済、そして歴史的な進路という意味では、国と国民の一体化した進路というものが、国民の不安をいかに取り除き、そして、国民を幸福と安寧に導くのか。こういう積極的な意味でコロナ禍というべきものを危機として乗り越える、そのためのリーダーシップ、あるいは政治家の責任というものを問われるのだと思われます。

 この際、歴史上の人物で私たちが見習うべきリーダーというものを、かりそめに考える。そういう試みがあちらこちらで行なわれています。最近では後藤新平などが盛んに取り上げられていますし、私も彼を高く評価したいわけです。ただ、こうした近現代の人物ではなくて、もっと日本史を全体として長い射程で見た場合、やはり私は徳川家康という人物を推したいと思うのです。


●総合政治戦略と国家戦略の最適な組み合わせ


 家康は徳川政治体制を築き上げてから、250年以上の平和をもたらした、その実績もさることながら、各種の戦略や戦術、いろいろな総合的な政治や経済の戦略的な道筋を見事に組み合わせた点で、大変見習うべき点が多いかと思います。

 家康はまず、歴史的には応仁の乱以降の混沌、カオスにピリオドを打ち、天皇を中心とした国家体制を復元しながら、実際の政治は徳川幕府が担うという政治システムをつくりました。まさにそれは当時、日本にとって最適の国家戦略でした。

 総合的な政治戦略として申しますと、「水も余りに綺麗ならば魚は住まない」という言葉、これは『後漢書』における言葉であったわけですが、そういう言葉を引いたように、さまざまに果断な勇気ある人事を厭わなかったわけです。必要であれば豪商、あるいは彫金師、または猿楽師、下級武士、凋落、落魄(らくはく)した公家、そして名門の落伍した武家たちはもとより、ウィリアム・アダムズ(三浦按針)、あるいはオランダ人のヤン・ヨーステン、イギリス人のアダムズと並んでオランダ人のヨーステン(「八重洲」の語源になった人物ですが)、こうした人たちを側近においた事実には、改めて驚かされます。

 そして幕藩体制と参勤交代という究極の人事システムと行財政機構をつくったのですから、すなわち総合政治戦略と、日本の天皇を将軍を組み合わせた最適の国家戦略というべきもの、この2つの要素、総合政治政略と国家戦略というものを基礎として固めたという点、これは今日につながる家康の功績でありました。


●家康は庶民の豊かな日常生活実現の戦術にも長けていた


 そのうえに、家康は江戸に移ってから1世紀もたたないうちに、江戸を世界屈指の行政中心地、大きな都市として育て、さらに偉大なる消費都市へと成長させたという功績があります。清潔な上水道、そして清潔な下水道、こうした上下水道の完備。あるいは魚市場、青果市場等を中心とするような各種の市場の整備、日常の庶民生活の基盤の確立。

 朝、目が覚めたらそこにしじみ売りが来たり、豆腐売りが来たり、油揚げ売りが来る。そして、庶民たちはそこで非常に新鮮な惣菜を、朝食のおかずとして食べることができた。こういう幸せな国民というのは、世界史を見てもなかったといってよいかと思います。つまり日常の庶民生活のめりはりの利いた基盤を確立したのは、家康の江戸入府以来のことです。

 さらに重要なことは、保健衛生の充実でありまして、先ほど申した上下水道のみならず、いわば排泄(汚わい)の処理、公衆便所、共同便所だけではなくそれをどう処理するか。江戸の東の郊外地、農村等々に汚わい船で運び出していく。それが野菜や米麦の肥料として使われていく。いわゆる今日でいうところのサイクル、あるいはリサイクルに近い健康な循環というものが、行われていたわけです。

 こうした総合的な点で、彼は各種の日常性における非常に豊かな戦術とでもいうべきもの、日常を豊かにするための戦術というものに長けていたわけです。


●明快なメッセージ、自己責任の取り方で他者の信頼を得る


 さらに大きい歴史の観点でいうならば、小牧長久手の合戦以降、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に迫られた上洛というものを、家臣たちは暗殺の陰謀であるとして留めたのに対して、彼はもし仮にそうだとしても自分一人が腹を切れば、「われ一人腹を切りて、万民を助くべし」と。このように人々が助かるのであれば、自らの命という...
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