●江戸幕府の経営によって世界有数の大都会に成長
皆さん、こんにちは。
最近、今上陛下のご退位ならびに次期天皇のご即位のことがしばしばテレビや新聞紙上で話題になっています。現在の天皇陛下は、2019(平成31)年4月30日に退位されるご予定です。新天皇、つまり現在の皇太子殿下のご即位は翌5月1日となりました。生前の譲位は江戸末期の光格天皇以来、およそ200年ぶりのことです。2020年の東京オリンピックは、新天皇の下で迎えることとなります。すなわち、前の東京オリンピックの例に倣うのならば、2020年のオリンピックの開会宣言は新しい天皇の下で行われる可能性が強いかと思います。今回の平和の祭典は、日本の新たな国民統合の象徴の姿を首都東京から世界に向けて発信する、こよなき機会になると思います。
ところで、2020年オリンピックの年は、私たちの歴史にとっても大変興味深い年に当たります。つまり、東京の前身、江戸に徳川家康が入った1590年から430年に当たるからです。「八朔」という行事がありますが、これは1590年8月1日に家康が江戸に入府したことにちなんでいます。8月1日(朔日)を略して「八朔」と呼ぶのです。当時の江戸は戸数も少なく、人家もまばらであったにもかかわらず、江戸幕府の経営によって1世紀ほどのうちに100万人の人口を擁する大都会に成長しました。ほぼ同じ時代のロンドンの人口は46万人です。また、19世紀初めのパリでも55万人にすぎませんでした。いかに行政の中枢である江戸が大きな町であったかが分かります。
●江戸を中心とした「一つの国家」を構築
しかも、これは巨大な消費都市でもありました。行政都市にして、かつ消費都市でもあった江戸は、埋め立てや上水道、下水道、ひいては公衆浴場、すなわち風呂屋、あるいは公衆便所、公衆の共同高架、こうしたことの整備を含めて家康の都市計画と土木工事の見事さによって、後に現在につながるメトロポリス東京となる基盤がつくられたといえるでしょう。
家康の江戸城は明治維新後、そのまま皇居となりました。4世紀を経ても現在の日本の首都の中心にある緑地として、心のやすらぎを都民、そして国民に与えています。家康は江戸を中心とした幕藩制国家、もう少し正確にいうと、幕府と藩が複合して成り立っている「一つの国家」を築き、日本という国の一体性を工夫しながら創り上げた功労者といえると思いま...