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徳川家光がしたこと…その最大の功績とは?

将軍家光のリーダーシップ(4)「老中」の形成

山内昌之
東京大学名誉教授
情報・テキスト
ライバルを排除した家光が直面したのは、「出頭人政治」。戦国の名残を残す家康の遺臣たちを退場させ、将軍直属のシステムを整備することが家光の願いだった。そのために取り入れた制度とその意味、またその先の模索について、歴史学者・山内昌之氏からお話をうかがう。(全4話中第4話目)
時間:11:50
収録日:2015/06/30
追加日:2015/07/30
≪全文≫

●出頭人政治から幕府システムへ、家光の挑戦


 3代将軍の最大の功労は、職務権限がはっきりしなかった「年寄(後の老中)」について規定を設け、明確にしたことです。出頭人政治を完全に終わらせ、幕府がシステムとして均質な官僚制を確立していくのに一番貢献したのが、3代目の家光でした。

 寛永9年現在の家光の「年寄」は、酒井忠世(61)、土井利勝(60)、酒井忠勝(46)、永井尚政(46)、内藤忠重(47)、稲葉正勝(36)、青山幸成(47)でした。トップの2人は61歳に60歳です。先ほど言ったようにおよそ20歳プラスすれば、いかにこの2人がうっとうしいものであったかが分かります。

 家光としては自前の幹部を使いたい。特に彼が一番信頼していたのは、春日局の息子として、幼少期から疑似家族のようにして君臣関係を築いてきた正勝でした。それで彼を老中に登用していくのですが、その所領は酒井忠世、上州厩橋(現在の群馬県前橋)の酒井家には到底及ばないものでした。

 そのうちに、自分がこの年寄衆から少しずつ権限を奪っていくための策を実行する。それは、将軍といえども人事権を完全に自らが掌握し、自分の好きなようにするのは、なかなか難しかったからです。これは内閣総理大臣とも共通することです。特に戦前の帝国憲法の下においては、内閣総理大臣は各大臣を簡単に罷免したりすることは難しかった。特に陸軍大臣や海軍大臣は、事実上、総理大臣の人事権の外に置かれた存在でした。


●「六人衆」に「少々の御用」を委譲させる困難


 将軍の場合、なぜそういうことになるのかというと、出頭人の時、あるいは秀忠の時から、幕府の権力そのものを担い、支えてきた臣下が多かったからです。父や祖父の代からの功労者に対しては、何かタイミングや失態すなわち原因がない限り、簡単に人事で更迭することはできなかったのです。

 そこで家光がやったのは、「六人衆」と呼ばれる若手の政治集団に権限を与えることでした。松平伊豆守信綱以下の6人に対して、「少々の御用」を支配するように命じた。「少々の御用」というのは何かというと、この後「老中」になる「年寄」たちの持っている権限のうちの一部の御用、一部の権限を果たすようにと言ったわけです。

 ところが、「少々の御用」を果たしていくと言われても「われわれはまだ元気だ」と、61歳や60歳は抵抗するわけです。われわれの感覚でいうと、先ほどから言うように80歳を超えた連中が「まだ元気だ」と。彼らは、必ずそういうことを言うのですね。

 私なども人のことは言えません。今の年齢に20歳足すといくつになるかは、空恐ろしい年齢になるので言えませんが、自分では元気だと思っています。しかし、確実にそれは老いであり、自分のエネルギーは枯渇していく。それが老いであり、かつ成長でもあるわけです。


●要となる家光が抱えていた三つの「病気」


 そこで、家光です。六人衆を活躍させるためには、家光自身がしっかりしていないと駄目なのです。そこで家光がしっかりしないといけないのですが、彼には一つ問題がありました。何かというと、病気がちだったことです。

 病気には、自分の意思で止められるものと止められないものの二つの要素があります。後者に当たるのが風邪であり、やむを得ない原因や体質によってかかる可能性があります。ところが彼にはもう一つ、悪い癖として非常に過度な飲酒がありました。

 さらに、当時の侍としては珍しくないことですが、彼には若い頃から女色ではなく男色にふける傾向があったようです。女性に関心を持たなかったため、彼は後継者に非常に苦労するし、春日局以下も悩みます。そのような、男性に興味を持つ「男色」という問題がありました。当時は、武家においては戦国時代の因習ですから、男色はごく普通のこととして行われました。戦陣に出かけ、常に戦場にいることが前提になった集団であるからです。

 家光には、おそらく若い頃の男色による荒淫の後遺症がありました。二つ目に飲酒。三つ目に風邪にかかりやすい体質。これらが時として彼をこじらせ、彼のシステムを機能させることを阻んだのです。


●「将軍諸職直轄制」から「老中」の形成へ


 もうそろそろ時間になりますので、先走ってまとめて話しますが、家光の本来目指した体制とは、老中と六人衆をはじめとして、寺社奉行や勘定奉行、江戸町奉行、大目付などの役職を将軍が直轄して支配するシステムです。

 これは、京都大学の藤井譲治教授の表現によると、「将軍諸職(しょしき)直轄制」と言います。諸職(しょしょく)と読んでもいいのでしょうが、少し気取って言えば諸職(しょしき)です。藤井さんが若い頃の仕事である『江戸幕府老中形成過程の研究』などに書かれた定義によれば、将軍諸職直轄制とい...
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