テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

徳川3代将軍家光の優れたリーダーシップ

将軍家光のリーダーシップ(1)家運の鍵を握る3代目

山内昌之
東京大学名誉教授
情報・テキスト
「売り家と唐様で書く三代目」、この江戸川柳は家運の鍵を握る3代目の難しさをよく言い表している。歴史にも多く登場する3代目の成功例と失敗例をもとに、徳川3代将軍家光のリーダーシップを考える。歴史学者・山内昌之氏による歴史と政治学の横断講義。(全4話中第1話目)
時間:17:35
収録日:2015/06/30
追加日:2015/07/27
≪全文≫

●どの世界にもある問題-3代目とは何か


 本日のテーマは、将軍のリーダーシップと題しましてお話しいたします。とりわけ、これは政治家のリーダーシップと置き換えてもよろしいですし、また、お聞きいただければお分かりいただけるかと思いますが、実業家、あるいは経営者のリーダーシップと置き換えられてもよろしい面もあろうかと思います。

 つまり、3代目とは何か、初代、2代目と違って3代目とはどういう役割をするのかということです。その場合に、失敗した3代目と成功した3代目というのが必ずいるわけで、これはどの世界においても当然あり得るのです。世襲や継承ということに一番縁遠いかに見えるような学者の世界にも、実は世襲的なものがあるのです。これは、「家学」、家の学問というように言ってはばからない人たちもかつてはいたのですね。しかしながら、学問の世界での世襲というのは本人の努力もさることながら、いずれの世界においてもそうであるように、やはりいかんともしがたい才能、あるいは天性のタレント、こうしたことが当然必要になるわけです。

 そうしたときに、やはり3代目になって成功するケースもあるけれども、しかし失敗するケースもある。したがって、私が申し上げることは、何も政治家、あるいは経営者に関してだけではなくて、やはり自分たち学問の世界も含めて広く3代目とは何かという問題を考える、そうした指針にもなればと思っています。


●議会政治史にも登場-江戸川柳の「3代目」


 江戸の川柳によく知られた歌でありますが、「売り家と唐様で書く三代目」という非常に人口に膾炙(かいしゃ)した川柳がございます。これは何か、どういう含蓄かと申しますと、初代が苦心惨憺して、艱難辛苦、刻苦勉励、さまざまなプロセスはあるかと思いますが、その財産をせっかく残しても、2代目はそれを継承して発展させるか、あるいは現状維持でその経営の規模を維持するか、いろいろな場合はあるとしても、2代目で急速に没落するということはあまりなく、しかしながら3代目になりますと、これは没落してしまう。「遊逸」とは、「遊びふけって没落してしまう」ということです。そして、最後には家、田畑、土地まで売りに出す。都市の商家においては、家をその商店とともに売りに出すという羽目になり、そこで、「売り家だ」というふうにして札で書くわけです。

 この札に書かれた字体が、中国風の非常に凝った、墨痕鮮やかな筆跡で「売り家」と書いてあり、それが唐様でしゃれているということです。なぜそういうことができたかというと、遊芸にふけって商いの道をないがしろにしたからで、その結果、文字だけは上手になったということです。それは朝から晩まで遊芸にふけった、一番の極めつけは、新吉原などで居続けするというようなことになるわけですが、そうした人を皮肉った言葉なのですね。

 これは、議会政治史でも実は話題になったことがある言葉です。第二次世界大戦中、1942年に第21回の衆議院議員総選挙、世にいう翼賛選挙が行われました。政党が解散されて、大政翼賛会の推薦によってのみ選挙に出られる。後は、無所属という形がありましたが。その時に、田川大吉郎の応援演説に駆けつけた咢堂(がくどう)こと尾崎行雄が、遊説中にこの「売り家と唐様で書く三代目」の川柳を引用したのです。これは、尾崎の考えでは、1890年の帝国憲法の発布から始まった日本の立憲政治が、ちょうど半世紀余を経て、孫の代、すなわち3代目になってその精神が踏みにじられて、日本の立憲政治というものが消えてしまった。そこで、翼賛選挙を推進した政府への批判として、この川柳を使ったということなのです。


●川柳が原因で拘置所に送致された憲政の父

 
 ところが、尾崎のことを快く思わなかった、役所でいえば内務省の警報局、あるいは政党でいえばまさに翼賛会、それから、陸軍省軍務局を頂点とする陸軍の政治意思の決定機構、これらが、実はこの川柳に文句をつけたのです。これは、明治維新から、すなわち明治天皇から大正天皇を経て3代目に当たる当今、つまり今上陛下であられた、後に昭和天皇と呼ばれることになる方を揶揄したと解釈し、不敬罪だと言って告発したのです。

 そうして、尾崎行雄は、まさにこの川柳によって投票日の1週間前に東京地検に拘束されて、巣鴨拘置所に送致されました。さすがに憲政の父とも言うべきこの咢堂を、ずっと拘留するにしのびず、1日後に釈放されました。当時、戦争中は裁判は二審制になっていたのです。今でいう高等裁判所が機能を停止しまして、地裁と大審院、今の最高裁判所、この二審でやりましたから、一審の地裁では有罪判決を受けたのですが、大審院こと最高裁判所は無罪判決を出して、事なきを得たという話です。

 日本の立憲政治、議会制度...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。