●3代将軍のライバルをあらかじめ排除した秀忠
元和9(1623)年、家光に将軍宣下がなされます。「宣下」とは、天皇から将軍職に任命するという勅が下されることです。その結果、秀忠は45歳でありながら大御所になっていきます。ところが、このようにして3代目を継いだ人間には、いろいろなかたちのライバルが周辺に立ちはだかってくるのは、皆さまもお分かりのことかと思います。
企業経営においてもそうです。先代社長や会長が指名した人事が、同族経営の世襲企業であってもスムーズに継承されるとは限りません。そこには兄や姉がいるかもしれず、自分の権力がなかなか磐石にはなりません。さらに、おじ、あるいはいとこに当たる存在がいて、権力の継承がなかなかうまくいかないのは、今われわれも見ているところです。
国会議員の場合でも、世襲議員と言われますが、なかなかその世襲に関して、誰が父や祖父の地盤を受け継ぐのかという問題があります。必ずしも長男とは限らない場合もある。直系の世襲ではなく、傍系に行く世襲もあるかもしれない。子どもではなくて甥や大甥にいくようなケースも、実際にあるわけです。
こういう中で秀忠は、家光のライバルになるだろう人間をあらかじめ排除していきます。3代目が成立したときに必ずやライバルになる人間を、自分が3代目将軍だった間、あるいは大御所になってからも「禍根を断つ」という行動を起こしました。これが、家光にとっては大変幸運なことだったわけです。
権力の継承は、ヒューマニティや人道主義でなされるのではありません。江戸の政権を掌握し、日本の征夷大将軍になるのは、結局1人だけだからです。その1人に対して、ライバル意識を持ったり、脅かしてくるような人間がいては困ります。
その中で最大のライバルは誰だったかというと、先ほどの系図に戻ってみましょう。もう一度系図をご覧ください。
●家光の最大のライバル忠長と、その母「お江与」
秀忠には、成長していった息子が3人います。家光、忠長、正之という男子です。この内の正之は、お静という庶腹に生まれた男子なので、今は省きます。そして、同じ腹、すなわち秀忠の正妻は「お江与」という人物です。
先日、NHKの大河ドラマで江与を取り上げました(「江~姫たちの戦国~」2011年)。私は途中で見なくなりましたが、大河ドラマの凋落は...