●古代ギリシアのポリスと、現代とを比べてみると?
―― それにしてもプラトンはすごいですね。欲望の種類をいろいろと分類して、危ない欲望と持ってもいい欲望を非常にきれいに分けていたのですね。
納富 そうですね。逆に現代のほうが、問題はもっとリアルになっているともいえます。プラトンの時代ももちろん貨幣経済だったので、(そうした問題はすでに)ありましたが、予言のようにも見えます。つまり、今のようなヘッジファンドや何かが世界中のお金をコントロールするような時代ではなかったにもかかわらず、あの時代におそらくそれを予測したのです。その時代に起こり始めていた問題の本質は、今のほうが大きくなってしまっている。その意味で、むしろ(今の)私たちが学ぶところは大きいかと思います。
―― なるほど、たしかに今のほうがあからさまですね。
納富 それに規模が大きくなっています。ギリシアの時代はせいぜいポリスがあったエリアの話で、戦争もその範囲でした。今は一気に世界的な問題になるので、より深刻ではないかと思います。
―― ギリシアのポリスの場合、市民社会としては数千人から数万人くらいで、非常に理想的なコミュニティでしたが、そこにプラスして奴隷制度が入ります。そこの部分が少し分かりにくいので(説明いただけますでしょうか)。
納富 そうですね。おっしゃる通りで、ギリシアのポリスというのは一種の都市国家のような形で、プラトンやアリストテレスは、その中でも市民(自由人)のところだけを取り上げたので、非常に理想的な民主政を実現していたように思えます。しかし、実際には社会基盤がありますので、現代のような「国民主権」というような話とは大分違います。
例えば、市民が数千~1万人ぐらいいるとしても、おっしゃったように奴隷もいます。ただし、奴隷が市民の何倍もいるほどではありません。基本的にギリシアの奴隷は家内奴隷としてお手伝いさんのように働く人が多かった。それから、外国の人のように市民権のない人もたくさんいました。税金は払うけれども権利がない人もいたわけです。
それから、女性についてはいろいろな問題がありまして、市民の女性はやはり市民団(の一員)ですが、投票権のような権利はありません。全体を合わせてみると、(ポリスの)一部である男性市民がかなり大きいところをコントロールしていました。そこを見てしまうと、現代とは大分構造が違うという感じがします。
●「人間としてかくあるべし」――生き方のモデルを打ち出したギリシア
納富 とはいえ面白いのは、プラトンやアリストテレスの時代が「人間のコミュニティかくあるべし」という理念をつくったところです。時代を経て現代になっても、われわれ人間共通の生き方のモデルになっています。だから、実際の歴史をたどって、「古代のギリシアはどうだったのですか」というと、「奴隷がいたし、女性は(排除されていて)…」という話になるのだけれども、私はそれは仕方ないというか、ギリシアはそういう社会だったというしかありません。
ただし、われわれが学ぶべきところは、彼らが示した「人間としてかくあるべし」というところで、それについては考えてもいいかとは思います。
―― そのモデルは、今でもずっと続いているわけですね。哲人政治もそうですし、貴族政も共和政も、民主政、僭主政治、衆愚政治などのモデルもきれいにつくられていたということですね。
納富 そうです。おそらくですが、人間の歴史には、規模や風土の違いはあっても、ギリシアではなくても、それなりに定型のパターンがあるのだと思います。
それをギリシア時代に分類したということで、ヨーロッパではそのまま使い続けてきました。性質は違うとはいえ、日本やアジアも基本的には同じ人間の社会なので、ある程度の修正や考察を加えれば、基本的なパターンは(分析に)使えるのではないかと思います。
●パターンと論理に強い哲学という学問
納富 パターンというのは、哲学が強いところだと思います。現実はひたすら複雑で、しかも流動している。そこから、ある種の型を見てとるのが、われわれのものの考え方です。
ただ、全部強引に型に当てはめすぎると見失うこともある。しかし、われわれがものを見るときには、ある種の型と、その中での論理的な関係を見ていくことになる。それが実際の世界とそれなりにフィットしたり、場合によっては予測したりすることもできる。それが、哲学から始まった学問の大きな利点です。また、プラトンは実践的に社会の分析をしたところが大きいと思います。
―― 抽象化するということ、数学や幾何を重んじるという部分はすごいですね。抽象化によってモデルをつくるということですね。
納富 ギリシアは、本当に現代まで続くある種の普遍主義...