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「近代の超克」――見直すべき哲学に期待した時代の挑戦

哲学の役割と近代日本の挑戦(5)「近代の超克」の時代

納富信留
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
1942年、当時の名だたる哲学者や論者、芸術家などが集まった「近代の超克」というシンポジウムがあった。戦後、戦争とファシズムを支持したものとして批判され、忘れ去られるようになったが、日本の思想史にとって、彼らの主張は無視できないものがある。今回はそのチャレンジについて、哲学に期待をかけた当時の社会状況とともに検証していただく。(全6話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:06:44
収録日:2023/07/28
追加日:2023/10/28
キーワード:
≪全文≫

●「近代の超克」はなぜ忘れられたか


―― 戦前に、京都学派を中心とした「近代の超克」という(シンポジウムが)ありましたね。戦後はもう全部消されてしまいましたが、あれに対してはどういう評価をすればいいでしょうか。

納富 本当に今はそういうことをきちんと考えるべきときだと思います。私自身がきちんと検証したわけではなく、印象だけですが、もちろん真剣にチャレンジしていたと思います。また、そのチャレンジは日本だからというわけではなく、あの時代、世界中の哲学者がチャレンジしていました。

 その後で「ポストモダン」という動きが出てきますけれども、まさにその通りで、近代のポスト(後)をみんなが狙っていたわけです。つまりデカルト・カント以来の哲学が行き詰まって、社会全体の構造が(問題を抱えて)しまっている。それを哲学から超えていこうという動きに対して、西田幾多郎などの日本の哲学者は非常に敏感だったわけです。

 逆に自分たちもそれに乗って、かつ日本でやれば彼ら(西洋人)にできないような超え方ができるかもしれない、という素晴らしい野心を持ちました。ところが、それは日本だけで行われたことではなく、ドイツでもアメリカでももちろん同じようなことが行われていました。それぞれがチャレンジして、多少うまくいったところもあれば、うまくいかなかったところもあります。

 日本の場合は軍国主義、ドイツでいえばハイデガーはナチスなど戦争の問題に巻き込まれてしまいました。そのために純粋な学問・文化運動ではなくなってしまったところが、今まさに反省すべきところで、また、それが何だったのかを見なくてはいけないところだと思います。


●当時の哲学者がどういう水準でどこまで頑張ったか


納富 西田について、あるいは三木清についても、日本の哲学者のある種の戦争「加担」というのは失礼だけれども、戦争との関わりについては今でも問題になります。だからといって、その議論を全て無視したり意味がなかったと言ったりするのではなく、(当時の)日本は失敗したかもしれないけれども、失敗も含めて彼らがどういう水準でどこまで頑張ったか。最近はそういうことについて、私の仲間なども多少新しい視野を持ち、見直そうとしています。そこは、日本人にとって大事なことだと思います。

―― やはり彼らは、チャレンジしていたのですね。

納富 今の私たちなどは本当に顔向けできないくらい真剣にやっていた。あの世代は本当に死ぬ気でやっていたと思います。

 それは、日本が国家的にも存亡をかけていたということだと思います。夏目漱石であれば文学の中でそれをやって、芥川龍之介もやったけれども、哲学も非常に必死になって、まさに自分たちの存亡をかけていたと思います。

 今も、その必死さを見習うべきであり、もちろん自分的にはそれがあると思いたいわけですが…。西田もそうですが、去年(2022年)が田邊元の記念の年(没後60周年)だったので、私も論文を書きました。(彼らは)一人ひとり違うタイプでありながら同じようなことをやっている。しかも互いに批判や喧嘩もしているところがなおいい。それが日本を強く押し出した。本当にそこは日本の哲学にとって見習うべき時代だと思います。

 (その時代は)日本全体としても哲学をもっと使おうという気がありました。ただ、そこ(軍国主義)にもっと加担した人たちもいました。だから、イデオローグのようになった方々も、哲学者の中にはもちろんいた。それと比べると、先ほど名前のあがった西田や田邊や三木はもちろんちゃんと哲学をやって、そこは一線を画していました。


●哲学に社会が期待をかけた時代


納富 ただ、国家というか社会的には、哲学のような重要なものを使いながら、もっとそちらのほうに進みたいということも時代的にあったのだと思います。

 今は、そういう期待はあまり感じない。社会の側からの視野がやや狭いかなという気がします。西田や田邊のような哲学者に対しては、やはり当時、本当に一般の人が政治家も含めてみんな期待していたのだと思います。

―― なるほど。やはりみんなが期待したのですね。

納富 そうだと思います。だから、もちろん講演に呼ぶなどは普通だと思いますが、そういう中で西田が日本文化の話などをするというのは、ものすごくインパクトがあったわけです。

―― なるほど。あの時代では鈴木大拙もそうですし、交わり方がすごいですよね。

納富 同世代でね。そこも本当にすごいかたまりの時代ですね。しかも、そこにまた世代がある。京都学派の中でも、第一世代には西田がいて、その後がその弟子(田邊ら)。それも、ちょっとずつ世代の違いがあって、役割と違う形でお互いにやっていた。それはやはりグループとしてのことで、一人で何かできたという...
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