●宇沢弘文は日本に危機感を感じていた?
―― 先生の言われた、自由な言論空間という、ここが1つの耐えていく最大の要素なのですね。これがなかったら耐える場所がないわけですよね。(それを)鍛える土壌がないですし。そういう意味で、戦後も「社会的共通資本」の宇沢弘文は、シカゴ大学にミルトン・フリードマンと同じような時期に行って、これはいかんと言って帰ってきました。
齋藤 帰ってきたのですよね。
―― あれはすごい話ですね。
齋藤 アメリカで一流のプロフェッサーですから、その立場を投げうって日本に帰ってきました。日本に危機感を感じたのではないでしょうか。
―― 危機感を感じたのですか。
齋藤 そうだと思います。
―― なるほど。このままではいかんと。
齋藤 そうですね。水俣だけではなくて、です。公害――四日市ぜんそくとか――そういうものもあって、『自動車の社会的費用』は負の外部性(経済活動が社会に及ぼすマイナスの影響)からアイデアを練ったのだと思います。
―― なるほど。
齋藤 玉野井芳郎とか、経済学者がけっこう議論をリードしましたね。
―― あの頃の経済学者は、けっこう国の経済政策について本気で議論していますね。こちらに小宮隆太郎がいて、こちらには宇沢弘文がいる。ある種、東大経済の黄金時代ですね。
齋藤 そうですね。多元的だったと思います。
●歴史的・哲学的な思考はけっこうアンビシャス(野心的)
―― 早稲田の政経(政治経済)学部(についてですが)、法学部全盛時代とか経済学部の時代に早稲田が「政経」としたのは、もともと哲学と歴史が必要なのだという意思がつくったときからあったのですか。
齋藤 どうでしょうか。政治と経済を結びつけたのは大隈重信の頃からなので、普通、政治というと法学部のほうに入ります。
―― そうですね。
齋藤 あえて経済と結びつけたというところは、大隈のアイデアもあったと思うのです(主導したのは小野梓たちです)。しかし、政治と経済両方あるけれど、それが有機的に結びついてきたかというと、なかなかそうとはいえないところがあります。
(近年)ようやく自覚的にどういうところで結びつくことができるかと考えるようになってきました。(実証で結びつく面はもちろんありますが)哲学と、あとは歴史(も重要)ですね。
―― 歴史ですね。
齋藤 歴史的な思考ですね...