●人間に照らして、違うことは違うと言う
── 普通のサラリーマンだったら、偉そうな人には何も言わないでしょう。それに対して江口さんは、松下幸之助に対してもそうですし、比較的歳が近い、生意気ざかりの御曹司のような人に対してもバシッとものを言われるのは、すごいことだと思います。
江口 すごいというよりも、私の性格なのです。人間に照らして、合っているか合っていないかを見るように幸之助に教えられていましたから、それと照らして「違うんじゃないの」と思うと、ストレートに言ってしまうほうなんです。
だから、松下政経塾の卒業生の人たちに対しても「あなた、違っているんじゃないの」と言いますし、幸之助自身に対しても、「それは違いますよ。松下幸之助さんの言っておられることは違いますよ」と言ったことが、再三再四あります。
後に台湾の李登輝総統(当時)がかわいがってくれたのですが、なぜそうなったかというと、私が自分の思っていることをどんどん言ってしまうからです。秘書からは「江口先生は総統の前で、よくストレートにお話をされますね」と言われました。「どういうことですか」と聞くと、「日本から来るほとんど全てのお客様は、総統と話すと、ただ『はい、分かりました』とだけ返事して帰っていかれる。そのなかで、江口先生は珍しい方です」と言われたことがあります。
●なぜ松下幸之助と李登輝は江口氏のことを「面白がった」のか
── だから李登輝元総統は、江口さんのことが大好きだったのですね。
江口 李登輝元総統も松下幸之助という人も、実際にどうかは別として、正しいと思うことも正しくないと思うことも率直に言ってくれる人を、大事にしたというよりも「面白がった」というのが的確な表現だと思います。
私がポンポン言うことに対して、松下幸之助は「こいつ、面白いやつだ」と。台湾の李登輝元総統も、私が「総統、それは違いますよ。私はこういうふうに思います」と言うことについて、面白く思ったというところではないですかね。
── 江口さんは、全部自分の頭でものを考えて、自分なりの意見を組み立てることができたから、幸之助にもちゃんとものを言えた。李登輝元総統だろうと誰だろうと、ちゃんと相手にものを言うことができた。
そういうところに接して、幸之助はかなり早い段階で、「この人は経営者人材だ」と見抜いたのでしょう。気骨があって、自分の頭で考えることができて、勇気を持ってものを言える。普通の人は何かとおもんばかって、何も言わないのが常ですよね。相手が上位者であろうときっちり言えるところは、やはりすごいことなのでしょうね。
江口 すごいことかどうかは分かりません。勇気というものではなくて、一種の性格だと思います。自分自身で正しいと思うことは言わないと気が済まないタイプですし、正しくないことと思うことは正しくないと言わないと気が済まないタイプです。そういう意味において、私を可愛がって面白がってくれる人もいるし、非常に憎たらしい、ずけずけと痛いところを突いてくる者だと思う人もいるので、両極端に分かれます。
●松下幸之助には根気をもって人を育てていくところがあった
── 千里を走る馬はたくさんいるけれども、それを見抜いて走らせる「名伯楽」がいないと、素質は放置されてしまう。今の日本の大きい組織や大企業には、名伯楽はいないですね。生意気なのは、どこかへ飛ばしてやろうという人がほとんどです。ましてやいい素材がいたから、それを手元に置いて、マンツーマンで一生懸命育てようという人はいないですね。
江口 私が名馬かどうかは別にして、幸之助も台湾の李登輝総統も名伯楽だったことはいえると思います。いってみれば、彼らと私では次元が違うから、「面白いやつだ」という程度だったと思う。今の経営者の人たちは自分のことを中心にして考えるから、部下を育てよう、人を育てよう、いい部下や人材を見つけようという心持ちがあまりないのではないかと思うのです。
例えば、AとBという人をマッチングさせて、それでよしとするのではなくて、そうすることによって利益が出た場合に、自分が利益の半分をもらおう。つまり、自分が得するために、AさんとBさんをくっつけようとする。そうした考え方は強いように感じます。
二人を上手にくっつけて「いい人」のように見えるかもしれないけれど、本当にAさんとBさんのためを思っているわけではない。それで自分が稼ごうと思っているわけです。
── 幸之助が最後に手元において育てたのが、江口さんです。その前に、松下電工の丹羽正治会長とか、いろいろな人を見つけ出して、引っ張り上げ、育て上げてきた人でした。見つけるところも名人でしたが、一定の期間で育て上げる点が幸之助のすごさでした。人材を見つけるのに長け...