●松下幸之助は世界大恐慌を前にしても人員や給料を削減しなかった
皆さんもご承知のことだと思いますが、昭和4年に世界大恐慌がありました。その時には、日本は大変な不況になってしまい、とりわけ大阪の会社はばたばたと倒産して行きました。松下電気器具製作所は町工場でしたから、非常に小さな会社でした。ですから当然のことながら、同じように倒産寸前になりました。
総大将である松下幸之助さんは、先ほど申しましたように、西宮の本宅で横になって養生していないといけない状態でした。そこで、後に三洋電機を創業した井植歳男さんが先頭に立って、リストラをしないといけないということになりました。井植さんは、当時は「店員」と言っていましたが、首を切らなければいけない従業員のリストを作って、大将である松下幸之助さんのところへ持っていき、人員整理を決めてもらおうとしました。
すると松下幸之助さんは、布団から起きて正座をして、そのリストを受け取りながらしばらくじっと見て、おもむろに涙を流し始めました。この人たちは、松下電気器具製作所を大きくしていくために力を貸してもらおうと採用した人たちであり、自分にとっては非常に大切な社員の人たちである。そういった人たちを会社が不況だからといって首を切るのは忍びない、松下幸之助さんはそう考えていました。しかし、そんなことを言ってもそのままでは会社はつぶれてしまいます。そのため、涙を流している松下幸之助さんを見て、井植さんはあっけにとられ、ぼうぜんとしていたわけです。
そして、松下幸之助さんが次に何を言ったかといえば、一人も解雇してはいけないし、一銭も給料を下げてはいけない、ということでした。その代わりに、土曜も日曜も返上して、重役であるか技術者であるか総務であるかも問わずに、全員がマーケットに出て倉庫にある製品を売っていくことを命じました。この、一人も首を切ってはいけないし、一円たりとも社員の給料を下げてはいけないということを聞いて、井植さんたちは喜び勇んで会社に戻りました。
●松下幸之助の話に感動した従業員の頑張りで恐慌を乗り越えた
井植さんたちは、従業員を減らそうと松下幸之助さんのところへ話に言ったけれども、誰一人として首を切ってはいけないし、賃金を一円もカットしてはいけない、大将はそう言っていたと、会社に戻って従業員の人たちに伝えました。すると、彼らは、涙を流して万歳をするわけです。劇的なシーンです。そして、明日からではなく今から商品を担いだり小脇に抱えたりして、みんなでマーケットに飛び出して行くわけです。毎日そういった状態が続きました。
首にされるだろうと思っていた人も多くいて、あるいは少なくとも給料を下げられるだろうと思っていたところ、一人の首も切られることはないし、給料も下げられることはない。そういう状況ですから、社員たちは熱気を帯びて倉庫の在庫を一掃するわけです。そのようにして、わずか1カ月間で、どうしようもなかった在庫が全部なくなってしまいました。しかもそれだけではなく、他の会社が打ちひしがれている状況で、松下電気器具製作所だけは、在庫がなくなった後にも増産に次ぐ増産で、フル稼働していきました。
●従業員の喜びを優先する松下幸之助の姿勢が見える週休2日制
この時、松下幸之助さんが結局、何を考えていたかといえば、それは、従業員を悲しませてはいけないということではなく、従業員を喜ばせるためには自分はどういうことをやったらいいのか、ということでした。このように、常に従業員のことが先行する、あるいはお客様が先行するのです。従業員に喜んでもらう、お客様に喜んでもらう、常にそういう発想をするのが、松下幸之助という人でした。ですから、多くの人たちに喜んでもらうことが経営者の喜びでなければならないという松下幸之助さんの言葉は、決して作り話ではないと、私は思います。
このように、従業員のことを先に喜ばせるという松下幸之助さんの姿勢は、週休2日制にも表れています。週休2日制は、日本では松下幸之助さんがほとんど一番初めに言い始めたといってもいいでしょう。それは、週休2日制、あるいは週5日勤務制も、社員がきっと喜んでくれるだろうという発想からで、決して欧米がやっているから、格好いいから、うちもやってやろうという考え方ではありません。ここにも、人を喜ばせることに喜びを感じるのがリーダーの一つの条件だという、松下幸之助さんの姿勢が表れています。これは決して、口先だけではないのです。