●昭和のリーダーは国民や従業員のことを一生懸命に考えていた
昭和の経営者には、非常に優れた方がきら星のごとくたくさんいました。対して、平成の偉大な経営者を挙げようとしても、専門ごとに何人かは挙げられるかもしれませんが、誰もが思いつく共通の人物を挙げることは難しいと思います。それはなぜかといえば、昭和の経営者は、官僚や政治家でもそうですが、絶対的ではなく相対的な意味において、今よりももっと、日本の国や国民、あるいは従業員のことを、自分のことよりもよく考えていたからだと思います。
日本は、大東亜戦争が終わった昭和20年には、灰燼(かいじん)に帰してしまいました。町は荒れ果てていて、食べる物も着る物も住む家もありませんでした。「バラック建て」という言葉がありましたが、そういった仮設の建物があるくらいでした。当時の政治家や官僚、あるいは経営者の人たちは、そういった日本の状況を見ていました。そして、そういう日本のリーダーの人たちは、「日本を何とかしなければならない」「日本国民の生活を何とかしなければいけない」「社員に何とかいい生活をさせてあげなければならない」、そういったことを考えていました。このことは、城山三郎さんの書いた『官僚たちの夏』を読んでいただければお分かりになると思います。
当時の日本のリーダーたちは、言ってみれば、天下国家、日本の国のこと、あるいは国民のこと、あるいは従業員のことを、自分のことよりも一生懸命に考えていたと私は思います。アメリカに追いつき追い越すという言葉が、今でも皆さんの記憶の中にはあると思います。そうした考えの下で、自分のことよりも国民のことを、自分のことよりも従業員のことを考えるリーダーが数多くいたと思います。
●松下幸之助は質素な暮らしをしていた
これに関しては、一つエピソードがあります。私は27歳の時に松下幸之助さんのそばで仕事をするようになりましたが、正直なところ初めは緊張していました。そして2年や3年がたった時、今夜自分の寝室に来てほしいと言われたのですが、まだ29歳や30歳の頃でしたから、一番最初に行ったときには非常に緊張しました。松下幸之助さんは、松下病院の4階をマンション代わりに使っていて、平日は常時そこで横になっているということでした。私は、松下幸之助さんのそばで23年間ほど仕事をしていましたが、松下幸之助とい...