●中華思想にとらわれない
江口 いずれにしても中国との関係においては、「自主自立」という李登輝さんの志向、ベクトルからすれば当然の帰結になるわけです。そういう自主自立という考え方が、結局は「台湾は台湾」「Taiwanese is Taiwanese」ということになっていくのです。
―― まさに「自主自立」という考え方がベースになって、今の台湾を作り上げてきたわけですね。
江口 そうです。神藏さんが李登輝さんのところへ行ったのは何年でしたか。
―― おそらく2004年から5年頃だと思います。
江口 その前後から「脱古改新」という言葉を言い出すのです。中国の古い言葉に「託古改制」があり、従来の枠の中で制度を改めることを指します。これではダメで、「脱古改新」という言葉を自分で創り出すのです。古いものから脱して、以前の枠にとらわれずに新しく改めていくと。
中国の中華思想にとらわれない。中華思想という枠の中で台湾を考えていくのではなく、中国と台湾は別だ、脱中国だと考えていく。「脱古」とは中国から脱することで、台湾固有の新しさを求めていく。改めていく。その意味で「脱古改新」を李登輝さんが言い出すのです。
●国民党内の激しい抵抗にも動じなかった
江口 中国の考え方にとらわれず、台湾の新しい考え方に改めるというのは、結局は一国二制度の否定です。同時に李登輝さんが言っていましたが、中国との関係は「特殊な国と国との関係」なのです。だから「国」なのです、李登輝さんにとっては。
―― なるほど。特殊な国と国との関係なんですね。
江口 だから今回、李登輝さんが亡くなり、どのようなことを遺していくかというとき、ご家族は総統府や蔡英文総統に、「脱古改新」と「誠実自然」の二つを守ってくれと言いました。これは明らかに「一国二制度の否定を続けてください」という意味です。それから「台湾は台湾です」と。台湾の独立はすでに果たしているのだから、それを維持するようにと。
そしてもう一つの「誠実自然」は、「そういう考え方を誠実に続けていってください」ということです。ご家族も李登輝さんの心のうち、想いを理解していますから、台湾を国として守り続けてくださいと要望したらしいです。
李登輝総統は個人の目線でなく、神の目線で政治をやった人だと思います。それを象徴するのが「私は私でない私(我是不是我的我)」なのです。
―― 李登輝さんがいなければ、台湾はあれほど見事に民主化の方向に行きませんでした。経済も自主自立の路線で、ITの時代とともにこれほど活躍しなかったですよね。
江口 国民党の中では、相当抵抗がありました。大陸から来た国民党があり、その中から総統を選ぶのが蒋介石、蒋経国の路線です。それを李登輝さんは、国民の直接投票にしたわけです。それに対して国民党の主だった人、100人くらいが猛烈に罵倒するわけです。罵倒しても、それに動ぜず、採決して1996年に民選をすることになった。それは相当の信念、強さや確信がないとできません。
●精神的支柱は日本精神と武士道精神
―― ライン的には(李登輝さんは)蒋経国のラインから出た人ですからね。
江口 蒋介石・蒋経国の流れから出てきたことから、李登輝さんは蒋経国さんには敬意を払っていました。蒋経国さんが自分を副総統にピックアップした理由は、蒋経国さんが言わなかったので分からないと言っていました。けれども自分と同じような考え方で、その方向に台湾を持っていってほしいと思っていたのではないかと言っていました。
―― 蒋経国は農政の第一人者だった李登輝さんを招聘して、台湾の農政はあなたに任すと……。
江口「あなたに任す」とは言っていないんです。だから李登輝さんも、まさか副総統になって2年目で、蒋経国さんが亡くなるとは思っていなかった。蒋経国さん自身も、自分が死ぬとは思っていなかった。言わば突然、総統の地位が転がり込んだ。さあ、どうするかとなったとき、李登輝さんの精神的な支柱は、日本精神と武士道精神です。
もう一つ、アメリカ留学が大きいですね。それにより民主主義、国民が大統領を選ぶのはすごいことだという思いもあったのではないでしょうか。そしてアメリカの民主主義の裏打ちを日本精神と武士道精神でしたところが、独特の民主主義なのです。
―― 確かにそうです。両方、しかも自ら体現した人はいません。
江口 その意味において、李登輝という人はその所々において、台湾にとって好ましいものを採り入れる才能やセンスがあったと思います。
いわゆるエリートコースを通ってきたわりには、とても庶民的で、誰とでも気軽に話す。街に出て食事をするときでも、みんな寄ってくるのです。おじいさん、おばあさんとか若者でも。寄ってきたら「来い、来い」と言って、両脇におじいちゃん、お...