●もう既に独立しているのだから「台湾は台湾」だ
―― 李登輝総統との出会いがすごいですね。最初1986年に会われて、次に会ったときに提言書を持っていかれた。
江口 96年に民選が行われ、国民投票で総統選を戦うことにしたのです。その後、(李登輝さんは)国民から託されたということで、いろいろ悩むのです。悩んでいるところに私が「船中八策」(に託した提案書)を持って行ったから大変喜ばれた。そのときに私は、「『台湾の独立』と言わなくてもいいのではないですか」と言ったのです。
―― 台湾の独立を言わなくてもいいと。
江口 当時、「中国と統一する」「台湾は独立しなきゃいけない」という2派があったのです。台湾独立派と中国統一派が。
―― 国民党ですから、そうでしょうね。大変ですよね。
江口 そのときに「台湾は、台湾だから」と言ったら、「その考え方は自分の考え方と同じだ」というようなことで非常に喜ばれた。それで私の提案を全部、台湾語に翻訳して総統府の主な幹部の人たちすべてに渡したらしいです。
―― そのときに同志になったわけですね。その意味で李登輝総統も、自分の考えを分かってくれる人と出会ったわけですね。
江口 思考のベクトルが、私と李登輝さんで合っていたこともあると思います。それは「自主自立」です。私自身も「自主自立」という考え方が強いですから。
―― まさか江口さんから「船中八策」が出てくるとは思っていなかったでしょうね。
江口 そうそう。
―― 自分の一番苦しんでいるときですからね。
江口 自分自身としても「台中統一派」「台湾独立派」とどうしようかと。でも台湾は台湾として、そんなことを考える必要はないのではないかと思っているところへ、私が「もう既に台湾は独立しているのだから」と言ったので、「いやあ、そうだ」と思ってくれたのでしょう。
―― ものすごい腹落ち感があったのでしょうね、江口さんの話に。
●中国大使館から抗議めいた電話がかかってきた
江口 その後、1999年に(PHP研究所から)『台湾の主張』という本を出して。それまで日本のマスコミは新聞社だけでなく、「李登輝著」という本を出すことをみんな怖がっていたんです。それで出さなかったのですが、「李登輝著」という本をなんとか出したいと思って、そのときに李登輝さんに言ったら、「江口さん、大丈夫か?」と李登輝さんから言われたんです。だから、「いえ、大丈夫です」と言ったら、「江口さんが大丈夫と言うなら書くよ」と言ってくれた。
それからすぐ日本に帰って、四カ国に打診した。中国の朱鎔基さん、韓国の金大中さん、日本は中曽根康弘さんに、李登輝さんにお渡ししたのと同文のレターを送り、申し込んだんです。『中国の主張』『韓国の主張』『日本の主張』、そして李登輝さんには『台湾の主張』を書いてもらう。中国と韓国には大使館を通して、中曽根さんは私の俳句友だちで、松下幸之助さんとも親しかったから、直接頼みに行きました。中曽根さんは「ああ、いいよ」と言ってくれたのですが、タイトルが『日本の主張』にならなかったのは、以前別の出版社から『日本の主張』という本を出していたからです。それでタイトルを変えました。
ただ、中国大使館からも韓国大使館からも、返事が来ませんでした。本当は来てもらったら困るのですが(笑)、予想どおり来ませんでした。
―― でも、ちゃんと用心深く手配された。
江口 それで李登輝さんの本を出したら、中華人民共和国の大使館から「何で出したんですか」と抗議めいた電話がかかってきました。だけど、李登輝著『台湾の主張』を1999年に出したら、日本で20万冊という記録を作りました。
―― すごいですね、あの分厚い本が。
江口 それ以上に記録を持っているのは、全国紙5紙が書評として全部取り上げたことです。だいたい書評を1紙が取り上げると、同じ本を取り上げないのです。以後、李登輝さんのところへ直接マスコミが申し入れるようになり、李登輝著の本がいっぱい出るようになりました。
それまでは他の人が、李登輝さんや李登輝さんの考え方についてということで本を出していましたが、「李登輝著」という本は『台湾の主張』をもって最初とするのです。