●日常史研究の意義:時代の二面性をバランスよく描く
柿沼 日常風景というのは千差万別に色々とあるわけですけど、いざ調べ出すと、従来目に付かなかった史料が目に付くようになります。例えばここに挙げた2人の人物は、いずれも漢王朝の時代の人物です。左側は壁画で、当時の下っ端の役人です。本当に下級役人で、半分アルバイトのような働き方しているのですけど、この人たちがこういう格好をしているのだというのはこれでわかります。右側が特に面白いと思っていて、当時の女性がいかに子どもを育てていたか。お乳をあげていたか。
―― これはお乳をあげている像ということですね。
柿沼 恐らくそうですね。僕はそう解釈したのですが。
―― 場所的にいうと、たしかにそうですね。
柿沼 そういったものが従来ほとんどわかっていなかったというか、誰も興味がなかったに等しいのですが、いざ日常史を調べるということになると、こういうものにスポットが当たりました。僕個人はこれを大変面白いと思っています。従来、この像を日本の方は研究者も含めてほとんど知らなかったのではないでしょうか。おそらく誰もこういうものに興味がないので、中国では出土したまま博物館に陳列されています。日本でもきちんとした解説付きの展示などは行われていないので、こういうことを僕としては今後もっとやってほしいと思っているところです。
―― 先ほど(第1話)の太鼓を叩いている像もそうでしたが、こう見ると非常に表情豊かです。
柿沼 そうですね。今もそうですけど、古代中国には二側面あります。専制国家の時代ですから、偉い皇帝がいて、それに虐げられる民がいて、民は苦しんで泣いているという記録が一方である。その中で実は笑顔の像も残っているし、笑顔の記録もあるので、やはりどの時代も100パーセント悲劇の時代とか、100パーセント楽観的な時代というのはなくて、それをバランスよく描くという意味でも日常史は重要なのだろうと思います。
●木簡と竹簡が日常史を知る重要な手がかりになる
―― そしてその手がかりですが(、そのあたりはどうでしょうか)。
柿沼 そうですね。問題なのは手がかりで、ファクトチェックのファクトです。2000年前の記録は何があるかというと、有名なのが左側に挙げた『伝世文献』です。世の中に昔から伝わってきた文献です。大昔に中国で書かれて、もともと本として編纂されて、それが最初は写本で伝わって、後々活版印刷技術が出てくるのです。隋、唐、特に唐ですが、唐宋時代に印刷技術が出てきて、それがさらに拡散していきます。それが何度も版を重ねて、今ではデジタル化され、本屋に売っていたりもします。有名なのは『史記』や『漢書』、『三国志』です。
こういった本はたしかに重要です。ただ問題は、そのような史料は基本的には政治しか描いていないですし、有名人しか描いていないのです。中国の歴史書は、だいたい有名人の伝記なのです。それはそれで面白いですし、有名人を描いている史料の中から日常の記録を探し出すというのが1つのポイントになっています。
しかし、それだけだと十分ではなくて、その穴を埋めるような形で最近注目されているのが右側の記録です。いわゆる「木簡」「竹簡」と呼ばれているもので、これは竹簡です。
―― 竹簡ということは竹ということですね。
柿沼 そうですね。このような感じで、棒に文字が色々と書いてあります。それを紐で括って、クルクル丸めるわけです。なので、巻物です。今でも本の冊数を数えるときに、われわれは1巻、2巻といいますけど、あれはこの形が語源です。ちなみに本を1冊、2冊と数えるのも、紐で括った木簡、竹簡の象形文字です。
―― よくわかりますね。その真ん中に紐を通すという文字ですね。
柿沼 そうなのです。われわれはこの文化ではないのに、その記録、記憶だけ伝承しているという形になるのです。木簡、竹簡は中国で最近、膨大な数が出ています。どうしてかというと、今、中国はもうそろそろ危ないといわれていますが、バブルです。日本もバブルを経験しましたから、皆さんご存じだと思いますけど、ビルをバンバン建てたり、電車を通したり、道路を整備したりします。このときに、中国は歴史が長いので高確率で何か見つかるのです。その中に木簡、竹簡がお墓に入っているとか、井戸から出てくるということがけっこうあります。
―― お墓から、例えば昔の形の『老子』が出てきたとか、そういうことがニュースになったりすることもありますけど、書物を入れるのはどうしてですか。
柿沼 これが大問題で、はっきりわかっていません。
―― でも入っているケースがけっこうあり、よく見つかるのですね。
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