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作家の半藤一利氏が書いた『昭和史』(平凡社)は大変によく売れた本だ。昭和元年から敗戦までと戦後篇の2冊があるが、2015年現在で累計70万部を超えるベストセラーになっている。昭和史としては日本で最も多く読まれた書の一つともいえるだろう。
私は半藤氏をよく存じ上げている。彼が月刊誌『文藝春秋』の編集長を務めていた頃、企画などをよく頼まれていたのだ。半藤氏は教養あるジェントルマンで、奥さんは夏目漱石のお孫さんである。私と同い年で、大東亜戦争にも大変興味を持っており、戦後、司馬遼太郎氏をはじめ、いろいろな人と交流を持ちつつ多くの関係者に取材し聞き書きを行なっておられる。
だから、半藤氏の『昭和史』に書かれていることは、時代の一面を非常にうまく切り取っている。口述を文章にまとめたものだから、とても読みやすく、面白いエピソードも数多く入っている。どの話も事実であろう。
だがしかし、そうであるがゆえに、ある意味で危険ともいえる面がある。そのことを、本書の冒頭でぜひ示しておく必要がある。
私の見るところ、半藤氏は終始、いわゆる「東京裁判史観」に立っておられる。つまり、東京裁判が日本人に示した(言葉を選ばずにいえば、日本人に「押し付けようとした」)歴史観の矩(のり)を一切踰(こ)えていない。
戦後、占領軍の命令で、東京裁判(極東国際軍事裁判、昭和21年〈1946〉~23年〈1948〉)のためにあらゆる史料が集められた。それがあまりに膨大なものであったため、それらの史料こそが「客観的かつ科学的な歴史」の源であり、それらなしには二度と昭和史の本を書くことができないような印象さえ世間に与えた。
だが、実はこの「客観的かつ科学的」というのが、大きな偽りなのである。
一般にはあまり知られてこなかったことではあるが、終戦直後に、7千点を超える書籍が「宣伝用刊行物」と指定されて禁書とされ、GHQの手で秘密裏に没収されている。その状況については、現在、西尾幹二氏が著作を発表されておられる。また、当時の日本人の多くが気づかないうちに、戦後のメディア報道はきわめて厳重に検閲され、コントロールされていた。そのことについては、江藤淳氏の労作をはじめ、さまざまな研究がなされている。
さらに、これは気をつけなくてはならない点だが、そのような状況下で「歴史観」がつくられていくと、実際に体験をした人の「記憶」も巧妙に書き換えられていくのである。なぜなら、全体を見渡せるような立場にいた人は少ないからだ。
自分が経験したことは、大きな時代の流れの一局面にすぎない。だから、外から「実はお前がやらされていたことは、こういう動きの一部分なのだ」と指摘されると、「そんなものかなあ」と思わされてしまうことも多い。
また、それに輪をかけて気をつけなくてはいけないのが、実際に体験した人々の話を編集したり、聞き書きする人の歴史観である。体験談は多くの場合、もちろん編集者の目を経て発表される。しかも体験者はプロの書き手ではないから、誰かに聞き書きをしてもらうことも多い。その編集者や、体験談をまとめる書き手が一定の歴史観に縛られていたとすれば、残された「記録」の方向性に大きなバイアスがかかってしまうのである。
戦後のメディアの「言論空間」の中では、編集者や書き手の歴史観が、大きく東京裁判に影響されたことはいうまでもない。
東京裁判以後の歴史観が、残された史料によって必然的に「東京裁判史観」に墜ちていってしまうのは、このような背景があるからだ。また、戦争の時代を生きた当事者の聞き書きだからといって、簡単に「『東京裁判史観』の影響を受けていない歴史の真実だ」と断ずることができないのも、いま指摘した通りだ。


