≪全文≫
半藤氏のいいところは、昭和5年(1930)生まれだけあって、昭和天皇が立派だったことを、きちんと書いているところだ。半藤氏は、その昭和天皇のいうことを聞かなかった軍部の中枢を厳しく批判している。
ところが残念ながら、半藤氏は共産党のことについてほとんど述べていない。実際に、政府中枢や陸海軍にコミンテルンの手が回っていたことは確かであり、そこにいたエリートたちの幾人もが戦後に共産党や社会党左派に入って活動しているにもかかわらず。
ともあれ、半藤氏はやはり東京裁判の影響を強く受けすぎたのだろう。東京裁判にはソ連も判事・検事を送り込んでいるから、共産党やコミンテルンのことはけっして問題にしなかった。
だが、もちろん当時の日本側の認識は違っていた。東條英機大将は東京裁判での宣誓供述書の中でこう強調している。
〈他面帝国は第三『インターナショナル』の勢力が東亜に進出し来(きた)ることに関しては深き関心を払って来ました。蓋(けだ)し、共産主義政策の東亜への浸透を防衛するにあらざれば、国内の治安は破壊せられ、東亜の安定を攪乱(かくらん)し、延(ひ)いて世界平和を脅威するに至るべきことをつとに恐れたからであります。
(中略)支那事変に於て、中国共産党の活動が、日支和平の成立を阻害(そがい)する重要なる原因の一たるに鑑み、共同防共を事変解決の一条件とせることも、又東亜各独立国家間に於て『防共』を以て共通の重要政策の一としたることも、之はいずれも東亜各国協同して東亜を赤化の危険より救い、且(かつ)自ら世界赤化の障壁たらんとしたのであります。此等(これら)障壁が世界平和のため如何(いか)に重要であったかは、第二次世界大戦終了後此の障壁が崩壊せし二年後の今日の現状が雄弁に之を物語って居ります〉
(渡部昇一『東條英機 歴史の証言』〈祥伝社〉)
ここで思い当たるのは、日露戦争以後、日本とロシアの関係はわりとうまくいっていたということである。満洲の鉄道権益などの問題についても、思いのほかスムーズに話がついている。そこにアメリカが割り込もうとしたときにも、日本とロシアが手を組んでアメリカを追い出している。
だが第一次世界大戦後にロシア革命で帝政が崩壊し、共産主義政権が成立してから、状況が一変する。ソ連は5カ年計画を立て続けに実行し、満洲国との国境に二十個師団を...
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概要・テキスト
演説するレーニン
もしロシア革命がなかったら、大東亜戦争はなかったはずであり、共産主義政権のソ連が成立していなければ満洲は乱れなかった。そもそも満洲が平和であったなら、シナ事変も起こるはずがない。では、東アジアに戦乱を呼び込んだのは誰なのか。上智大学名誉教授・渡部昇一氏によるシリーズ「本当のことがわかる昭和史」第一章・第15話。
時間:04:07
収録日:2014/11/17
追加日:2015/08/13
収録日:2014/11/17
追加日:2015/08/13
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