●大奥から一番警戒された徳川斉昭、その致命的な欠陥
山内 徳川斉昭についてはもう1つ、欠陥がありました。
政治を行っていく場合の非常に大きな勢力として、徳川幕府の中には、「表」の老中を頂点とした権力構造があります。そして、「奥(中奥)」というのですが、将軍の日常の空間、執務をとる場がある。将軍と御側御用取次、あるいは側用人、あるいは御側衆という側集団(近臣集団)が取り持っている権力空間があります。
それから、もう1つある。江戸城という空間で見ると分かるように、もう1つは「大奥」です。「大奥」は御台所を頂点とし、それから、「中臈(ちゅうろう)」という御台所のお付きがいるのですが、その「中臈」が一番の高級(女中集団のトップ)にいる。このような女性の意思といったものが、さまざまな人間関係、血縁関係、それから政治のトップである老中との人間関係を含めて影響してくる。 自分の産んだ子や自分が仕えた子が将軍や世継ぎになっていく、先の将軍の血筋である、先の将軍の側室である、などといった筋を無視した幕府政治はあり得ないのです、どんなことをしても。
だから、この3つを組み合わせ、きちんと統御できる人間が幕府政治の担い手になっていくのです。意外とやっていないようで、松平定信にしても、水野忠邦にしても、阿部正弘はもちろんのこと、これを行わなければ老中は務まらないのです。
その大奥から一番警戒され、拒否された人間は誰だと思いますか。
―― 慶喜ですか。
山内 慶喜は彼個人ではかわいそうなくらいに「かわいい君が来た」というほどでした。だから、斉昭です。
―― 斉昭なのですね。
山内 斉昭は質素倹約を徹底化したという点で「こんな人が(来られては困る)」ということもあるのですが、もう1つ、史料に出てくるのは、彼の女性関係です。徹底して彼は「なぜこうなのだ」というほど、女性関係が乱脈なのです。
―― 乱脈なのですね。
山内 (例えば)11代将軍・徳川家斉が思し召しだった京都からやってきた「唐橋」という女中がいます。唐橋が水戸に遣いで来た時に、斉昭が唐橋を奪ったということから始まるのです。すると家斉が怒ってしまう。
―― それはそうでしょうね。
山内 それで、ここが面白いところなのですが、「唐橋を京都へ戻せ」と言って、京都へ戻す。実は水戸の中でかくまったのだけれども、とに...