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司馬遷を意識…“司馬遼太郎”の由来と海音寺潮五郎との縁

司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(3)司馬遼太郎ワールドと司馬遷

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
司馬遼太郎
出典:Wikimedia Commons
『国盗り物語』『関ケ原』『城塞』『竜馬がゆく』『燃えよ剣』など、司馬遼太郎は透徹した歴史家の目で読者にも俯瞰する視野を与える作品を次々と描き出していく。いわゆる英雄を一人ひとり描かれた物語を面白く読むうち、大きな歴史と遭遇する知的快感は、他の作家にはなかった資質なのである。また、“司馬遼太郎”というペンネームの元が司馬遷にあることはよく知られているが、著作方法もまた「列伝」にならったことは案外意識されない。公募小説で司馬遼太郎を見いだした海音寺潮五郎もまた司馬遷に範をとる作家だった。(2023年3月16日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「いまこそ読まれるべき司馬遼太郎~その過去、現在、未来」より、全6話中第3話)
時間:15:14
収録日:2023/03/16
追加日:2023/06/04
≪全文≫

●小学生の頃に熱狂した『国盗り物語』


 私は1963(昭和38)年生まれですから、10歳になる1973(昭和48)年の1月から12月、すなわち小学校3年の3学期から小学校4年の1~2学期にかけてNHK大河ドラマで放映された『国盗り物語』を観ていました。

 これは司馬遼太郎さん原作で、主人公は前半が斎藤道三、後半が織田信長になるドラマでした。明智光秀が織田信長を討った後、秀吉に負けてしまうところで最終回を迎えるというようなタイムスパンの作品でしたが、私はこれにたいそうはまりました。

 その頃から「原作を読みたい」と思い、『国盗り物語』をテレビドラマで観るだけではなく、新潮文庫の4巻本で出ていた原作を読んだわけです。まだ小学校4年生になったばかりの頃ですから、あまり大人向けの小説は読んだことがない。せいぜい星新一のショートショートくらいの子どもでも読めるようなものを読んでは、「文庫本も読んでいるつもり」になっている年齢でした。

 大人の小説を読むのは漢字も難しいし、慣れていないから大丈夫なのかと思いつつ、1巻目や2巻目は非常にゆっくり、信じられないぐらいゆっくり読んでいました。しかし、3巻目ぐらいまで行くと、やり慣れというのは恐ろしいというか、子どもの進歩は大人よりも早かったというべきか、どんどんスラスラ読めるようになっていきました。今思えば、どれぐらい分かっていたのかについては疑問もあります。

 ともあれ、『国盗り物語』にはまったのをきっかけに、司馬遼太郎さんの戦国時代モノの小説ということで、『関ケ原』や『城塞』などを小学校の4年から5年にかけて読んでいきます。『関ケ原』は「関ヶ原の役」を描き、『城塞』は「大坂冬の陣・夏の陣」を描いた司馬遼太郎さんの小説です。こういうものを一生懸命読んで、どんどん司馬遼太郎ばかり読むような時期がありました。


●司馬遼太郎世界の大きな俯瞰と知的快感


 そのようにして司馬遼太郎さんの小説を読むようになり、幕末維新ものなどにも手を出すようになって「なるほど」と思ったのは、非常に大きな俯瞰があるところです。

 つまり、『国盗り物語』では斎藤道三、織田信長という英雄を描いているし、『竜馬がゆく』は坂本龍馬、『燃えよ剣』は土方歳三を描いている。主人公が明瞭なので読みやすい。また、主人公がしっかり立っている小説には違いないのだけれど、後から併せて読むと同じ時代の違ったディメンジョンといいますか、別の状況というものが噛み合うようになってくる。例えば河合継之助を書いた『峠』などは、(『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』と)同じ時代を描いている。これらの多彩な登場人物をうまく絡めて、司馬作品を併せ読みしていくと、幕末維新や戦国時代などが大きな世界となるように描かれているということに、子ども心にもだんだん驚異の念を覚えたことはありました。

 それからもう一つ。今『関ケ原』や『城塞』を例にしましたが、『関ケ原』は石田三成と徳川家康をほぼ対等に描いていく仕掛けになっていて、「関ケ原(の戦い)」という短いところに収斂していく話です。西軍のほうへの思い入れが少しはありますが、どちらかを主人公にして片方を悪役にするような書き方ではなく、両側に両側の理があり、それを本当に神の目から、しかも十分娯楽的に分かりやすく書いてある。

 あと、歴史読み物として、また単純な小説としても単に読者を興奮させる。池波正太郎さん作品などはだいたいそういう娯楽的な時代小説というものですが、司馬遼太郎さんの場合は娯楽作品として通俗的に読める魅力もありながら、歴史家が書く客観的文体を基本にしている。上手にドラマを運びながら、ちゃんと歴史の本を読むように説明してくれる。そのような形での知的快感が保たれているだけでなく、それが非常に明瞭で、大人の心理や男女の機微などは、それと分からないようなレベルで上手に書かれています。


●読者に「引く」目を与え、大きな歴史に遭遇させる


 私は子どもの頃、生意気に池波正太郎作品も読みましたが、濡れ場などが出てくるので、なんだかよく分からないし、「こんなものを読んでいて大丈夫だろうか。親に見つかったらどうしよう」とも思ってしまう。司馬遼太郎さんの作品にもそういう場面がないわけではないのですが、特定の年齢層に強くアピールするような煽情的な描写はない。常に客観的な学者然とした目線を保ちながら、固い文章にはならず、「語り物」的で歴史物語的な快感もある。非常に絶妙な「国民文学」としての落としどころがあるわけです。

 そのように、司馬遼太郎さんの作品をたっぷり楽しんで読むことはありましたけれども、今申し上げたいのは、特に関ケ原や大坂の陣を描く『城塞』ではっきり表れていることですが、立場の違う敵味方の両側を俯瞰して、バランスよく面白く描かれ...
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