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徳川家康ではなく織田信長…司馬文学が描く「別の可能性」

司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(5)移動と破壊と自由の実現

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
概要・テキスト
司馬遼太郎
出典:Wikimedia Commons
『ペルシャの幻術師』に始まった司馬文学は、『草原の記』で終わる。大陸ロマンを奉じた司馬遼太郎にとって、馬賊への憧れから転じた「移動と破壊と自由の実現」という夢を日本の歴史小説で仮託させたのが「英雄が自由な創意でやる」戦国乱世と幕末という時代で、織田信長、坂本龍馬、土方歳三などによって、あり得たかもしれない日本の「別の可能性」を実現させるには格好の動乱期だった。それ以外のほとんどで見られる、巨大化したがゆえに現状維持に邁進するシステムとその教条化、またそのためにイノベーションができなくなってしまった現実こそ、司馬の「日本嫌い」の元凶だった。(2023年3月16日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「いまこそ読まれるべき司馬遼太郎~その過去、現在、未来」より、全6話中第5話)
時間:10:57
収録日:2023/03/16
追加日:2023/06/18
≪全文≫

●『ペルシャの幻術師』に始まり『草原の記』に終わる


 司馬遼太郎さんは、日本のものをたくさん書いて、日本に対する文明論的な提案もたくさんなさったけれども、結局はどうしてもモンゴルのことを書きたい。シルクロードやユーラシア大陸、モンゴルからハンガリーまでずっとつながっているような大草原の世界。ちょっと横(東あるいは西)にいけばイランにいくし、カスピ海も黒海もある。下がっていく(南にいくと)と万里の長城を乗り越えて中国にいく。そのような大陸的なスケールを書きたい。

 また、そういうことを実現したモンゴルの人たちに一番親近感を持つ。なぜなら、彼らはいつも移動していたから。定住して何かにしがみつくことなく、次々と自由にイノベーションをしながら自分たちの生き方を見つけていく。常に移動しながら、遊牧や商業的交易、騎馬軍団を鍛え、乱暴な話ですが軍事力によって略奪することで生きていくような方法を自由に見つけていたわけです。

 略奪や戦争、皆殺しのような話になると、司馬遼太郎さんの綺麗なイメージでのモンゴルではどうしても回収しきれない、いろいろなものがもちろん出てきます。しかし、司馬遼太郎さんのロマンとしてのモンゴルは、あくまで自由人としての馬賊の延長線上のモンゴルです。その世界は、どこまで行っても司馬遼太郎さんについて回っている。

 司馬遼太郎さんが一番最後に、小説というよりはエッセイですが、まとまった量の散文的な作品として書いたのは『草原の記』という作品でした。これは、司馬遼太郎さんがモンゴルに行って取材し、長編エッセイのような小説っぽい感じもある作品として書いたものです。この『草原の記』が最後のまとまった作品であるとして司馬遼太郎さんの世界を考えると、『ペルシャの幻術師』に始まって『草原の記』に終わっている、その途中に挟まっている日本のものは、どこまで行っても実は司馬遼太郎さんの本筋ではない(ということになる)。


●騎馬民族にふさわしい舞台としての戦国・幕末


 司馬遼太郎さんは本当はモンゴルが大好きで、少し語弊のある言い方ですが、日本は嫌いだった。嫌いだったけれども書ける世界はあった。それは、例えば忍者であったり、先述しているように土地にしがみついて、あるシステムを維持して安定的なものを築こうとするのではなく、戦国時代、幕末維新、動乱期、高杉晋作、土方歳...
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