●『ペルシャの幻術師』に始まり『草原の記』に終わる
司馬遼太郎さんは、日本のものをたくさん書いて、日本に対する文明論的な提案もたくさんなさったけれども、結局はどうしてもモンゴルのことを書きたい。シルクロードやユーラシア大陸、モンゴルからハンガリーまでずっとつながっているような大草原の世界。ちょっと横(東あるいは西)にいけばイランにいくし、カスピ海も黒海もある。下がっていく(南にいくと)と万里の長城を乗り越えて中国にいく。そのような大陸的なスケールを書きたい。
また、そういうことを実現したモンゴルの人たちに一番親近感を持つ。なぜなら、彼らはいつも移動していたから。定住して何かにしがみつくことなく、次々と自由にイノベーションをしながら自分たちの生き方を見つけていく。常に移動しながら、遊牧や商業的交易、騎馬軍団を鍛え、乱暴な話ですが軍事力によって略奪することで生きていくような方法を自由に見つけていたわけです。
略奪や戦争、皆殺しのような話になると、司馬遼太郎さんの綺麗なイメージでのモンゴルではどうしても回収しきれない、いろいろなものがもちろん出てきます。しかし、司馬遼太郎さんのロマンとしてのモンゴルは、あくまで自由人としての馬賊の延長線上のモンゴルです。その世界は、どこまで行っても司馬遼太郎さんについて回っている。
司馬遼太郎さんが一番最後に、小説というよりはエッセイですが、まとまった量の散文的な作品として書いたのは『草原の記』という作品でした。これは、司馬遼太郎さんがモンゴルに行って取材し、長編エッセイのような小説っぽい感じもある作品として書いたものです。この『草原の記』が最後のまとまった作品であるとして司馬遼太郎さんの世界を考えると、『ペルシャの幻術師』に始まって『草原の記』に終わっている、その途中に挟まっている日本のものは、どこまで行っても実は司馬遼太郎さんの本筋ではない(ということになる)。
●騎馬民族にふさわしい舞台としての戦国・幕末
司馬遼太郎さんは本当はモンゴルが大好きで、少し語弊のある言い方ですが、日本は嫌いだった。嫌いだったけれども書ける世界はあった。それは、例えば忍者であったり、先述しているように土地にしがみついて、あるシステムを維持して安定的なものを築こうとするのではなく、戦国時代、幕末維新、動乱期、高杉晋作、土方歳...