●日本の東洋史と西洋史はどのようにできたか
―― 皆さま、こんにちは。
宮脇 こんにちは。
―― 本日は宮脇淳子先生に、「モンゴル帝国の世界史」というテーマでお話をいただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
宮脇 よろしくお願いいたします。
―― 今回、モンゴル帝国のお話を伺うわけですが、そこになぜ「世界史」がつくのか。逆にいいますと、「世界史を理解するためには、まずモンゴル帝国を理解しなければ理解が深まらない」ということだと思うのですが、ぜひその点を最初に教えていただければと思います。
宮脇 私の夫であり、先生でもある岡田英弘(歴史学者、東京外語大学名誉教授)が提唱し始めた「世界史はモンゴル帝国から始まった」というキャッチ―な言葉があります。これは大げさに言った言葉ですが、何が言いたかったかというと、日本の世界史教育の問題点をはっきりさせたかったのです。
日本の世界史教育は、戦後に始まります。戦前に何があったかというと、「東洋史」と「西洋史」と「国史」の3つに歴史が分かれていました。
―― 「東洋史」というと、基本的には中国とインドですね。
宮脇 なぜなら、ほとんどの資料が漢字で書かれたもので、他の資料がないから、「東洋史」というと「シナ史」なのです。司馬遷の『史記』以来、二十四史といわれる「正史」が書かれてきたものをつなぐのが、日本の明治以来の東洋史でした。
そして、日本の西洋史は、東京帝国大学にドイツの実証史学の人を招いた、ドイツから見たヨーロッパ史だったのです。
―― ドイツから見たヨーロッパ史なのですね。
宮脇 だってドイツ人が教えたのですから。そういうものが西洋史として、漢籍を勉強した日本人学生たちによってまずスタートし、その後で対抗して東洋史が生まれるわけです。
―― 最初に西洋史があった、と。
宮脇 そうです。「西洋史」をまず歴史として輸入しました。それで、「いやいや、アジアにだってきちんと歴史があるのだから」ということで、日本人が漢文で書かれたものを西洋史風に筋をつけたのが「東洋史」なのです。
もともとのシナの漢籍は、自分たちの世界観で「天命が皇帝に降りて」ということしか書いていません。ところが、日本人は西洋史を見習って(東洋史を)作ったので、そこに「いやいや、東南アジア(の歴史)も入れましょう」「中央アジア(の歴史)も入れましょう」「モンゴル草原(の歴史)も入れましょう」という具合にして、いかにもというアジア史ができた。ですから、その流れは日本人が作ったわけです。
―― 確かにそうですね。
宮脇 皇帝と取り巻きの話しか漢籍には書いていません。でも、その取り巻きの中に、実は外国の話が入っていたのです。列伝の中には日本も入っているわけです。
―― 朝貢に来た、などという話ですね。
宮脇 そうです。それを日本人がもっと公平に開いて書いたのが東洋史です。
●日本だけのいびつな世界史教育
宮脇 そして、日本の西洋史は、ドイツから実証史学(ランケの話の筋道)が来た。ですが、日本人の大問題は、東洋史の漢籍を勉強していた人が西洋の話を聞いて外国語を勉強したので、東洋式の天命の流れで西洋史を理解したことです。
―― なるほど。
宮脇 だから、ゲルマン(その時はドイツとフランス、イギリスが大国でした)が、ギリシア、ローマからつながっているという理解をしました。そこで日本では(実際にはエジプトのほうが文化は上なのに)、ギリシア、ローマ、それから神聖ローマ帝国やフランク王国といった流れで、西洋史ができているのです。
―― 逆にお聞きすると、これは「日本ならでは」に近いのですか。
宮脇 そうです。世界中でそのような西洋史を教えているところはありません。だから、日本の西洋史も東洋史も、ものすごく日本式であり、いびつなのです。
その両方をつなげた戦後の世界史教科書も、結局、「世界史」が大学の教科にあったためしがなく、東洋史学科か西洋史学科を出た人が分担して教科書を作っているわけです。だから結局、歴史が輪切りになっていて、西洋史の流れと東洋史の流れが全然嚙み合わない。「13世紀の世界は……」といって西洋史と東洋史を学び、「10世紀は……」といって西洋史と東洋史を学ぶといったように、話が行ったり来たりするだけです。有機的につながらないのです。
―― 世界全体として見渡してはいるけれども、と。
宮脇 全部入っているけれども、話のストーリーがない。しかも日本の西洋史は、スペインとポルトガルはよそものだし、ビザンティン帝国はないし、ロシアはないし、アメリカもない。だから、日本で世界史を勉強しても、世界のことは分からない。
―― なるほど。
宮脇 もちろん、ある程度は分かりますよ。だけれども、日本の...