●遊牧民が戦争に強い理由
―― 全戦全勝ということがすごいと思うのですが、やはりこれは騎馬民族で騎馬兵だったからですか。
宮脇 騎馬兵だからということと、訓練が行き届いていて規律がとてもいいこと。それから相手が弱いのです。町を包囲したらおしまいです。
それから、その時にロシアは内部でお互いに争っているわけです。そのため全然協力してくれない。ヨーロッパはその時に確か、ドイツとローマ教皇の仲がかなり悪い。ハンガリーは助けを求めたのに、「お前らの信仰が悪い」などといわれて見捨てられる。ヨーロッパは全然まとまらないのです。
―― そうすると、個別撃破されてしまったと。
宮脇 個別撃破されて、あっという間にバーッと進軍された。こちら(モンゴル軍)は規律がいいし、分け前がもらえるから皆、士気が高い。普段から軍事訓練しているし、情報もたくさんあるし、世界中の優れた武器は来るし、そもそも遊牧民だから全員が馬に乗れる。もう強さが圧倒的なのです。
―― そうですね。
宮脇 しかも、替え馬を連れて走るのです。どういうことかというと、モンゴルの馬はあまり大きくなくて、頑丈だけど、サラブレッドよりうんと小さい。馬は群れで走る動物なので、人が乗っていなくても一緒に走り、それで乗り換えられるわけです。1人が3頭か4頭を連れていけば、馬が疲れたら乗り換えればいい。
それから、モンゴル側はまず斥候隊が先に行って調査するのですが、すごく目がいいので、相手に気づかれずに全部調査ができる。
また、「巻狩」といって普段から行なう軍事訓練は、山から下ろした動物を草原で待ち受けて、皆で輪の中に動物を閉じ込めて、それを狩猟するといったものです。
―― 完全に包囲戦なのですね。
宮脇 そのため、チンギス・ハーンの時代にサマルカンド(編注:ウズベキスタンの古都)に行った時も、出発点は5、6カ所なのです。なぜなら皆、遊牧だからです。1カ所にいたら草原で草がなくなるので、分かれて暮らしています。だから伝令と命令は絶対です。「何月何日にここを囲む」と聞いたら、あとは勝手に3つ、4つなど複数方向から進軍するわけです。
―― 目的地指令なのですね。
宮脇 そうです。時間があれば途中の町を落としてもいい。でも間に合わなかったら厳罰です。だって包囲戦が崩れますから。
―― そうですね、確かに。
宮脇 だから、指定時間に指定場所に行きさえすればよくて、あとは各々、何をしてもいい。それで集まって包囲する。そして、中軍、右翼、左翼、後軍など、ものすごくきちんと決まっている。そもそも草原で訓練しているわけですし、逃亡者が出たら、所属する百人隊ごと罰せられるなど、罰則を明確にしているわけです。
―― 連帯責任になっているのですね。
宮脇 きちんと連帯責任になっている。
●馬も武器も自分で調達する責任がある
宮脇 それから輜重隊ですが、日本のシナ事変などでは皆、米を持っていっている。そうすると、お米を炊いたりするのが全部見えるわけでしょう。
―― はい。
宮脇 もう一つ言わなければいけないのは、馬も武器も自分で調達する責任があることです。つまり、倉庫もないし、たとえ集めても分配できないので、全部自前です。だから、取り分は分けてもらえるけれども、行くときは自前です。そして、干し肉やら食料は何から何まで自分で持って行くのです。
でもそのとき、輜重軍が歩いてついてくる。遊牧民だから、家畜を家族が連れてくる。従軍した人の家族は、家畜を連れて歩いてついていく。そうすると、中央アジアで町を囲んで、そこを落とすなり、あるいは何カ月かたって休憩となったときは、モンゴルに戻らなくても、もうその辺りに家族がいるわけです。
―― 今でもそうですが、ゲルという移動式の住居がありますから、住居ごと来てしまうのですね。
宮脇 そうです。皆で来るわけです。なので、モンゴル帝国のモンゴル出身の人は、ロシアに広がったり、そのまま居ついたりする。いろいろな部隊があって、戻る人たちもいるけれども、自分たちの土地になったら「こちらのほうがいいから、ここで住もう」などとなって、モンゴル人は世界に広がったのです。
―― そこがやはり一つの強さの核となるところですね。
●モンゴル帝国中が親戚関係となった
―― そしてもう一つ、先生の『モンゴルの歴史』の本で印象深かったのが「親衛隊」です。ハーンの親衛隊を非常にうまく、各部族から取り入れている。これもなかなかすごい仕組みですね。
宮脇 そうです。チンギス・ハーンの息子も孫も行なっているのですが、「ケシクテン(恩寵のある者)」といいます。自分たちの部族の中の若い部族長の息子たちの中で、優秀な人間を中央に集めて、君主の側近にする。お小姓さんになるわけです。
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