●父親の価値観を象徴する家訓を拒絶する代助
ところが、こういう感覚はお父さんには通じないのです。まあ、当然といえば、当然ですが。このお父さんは、いわば明治維新の第一世代です。どうももともと仕えていた藩で家老か何かをやっていたらしく、この父の家に行くと、父が座っている頭の上に、「誠者天之道也」(まことはてんのみちなり)という家訓があるのです。誠は新選組のあの誠です。つまり、誠を尽せば、それは天の道であるから、もう誰にでも通じるということです。誠実であれば必ず受け入れられる、ということが家訓として書いて貼ってあるのです。
なぜこのようなものが貼ってあるかというと、まだ明治維新の前、お父さんが藩に勤めて、家老ないしは勘定奉行のようなことをしていたとき、藩の財政が疲弊してお金が足りなくなってしまいます。このとき、お父さんは、お金を持っている町人のところに行くと、侍なのですがわざと刀をはずして、頭を下げて、「頼む。返せるかどうかは正直分からん。分からんが、しかしわが藩のためだ、頼む」と言って、町人たちを説得してお金を集めます。しかも、藩の財政の立て直しに成功して、お金は返したということでした。
つまり、そこまで頭を下げれば、町人たちもお金を貸してくれたのです。誠で、誠実さを見せれば誰にでも通じる、そして結果も開けるんだ、ということが、お父さんの成功体験なのです。それが家訓として貼ってあるわけです。これは藩主に感謝されて、このように書いてくれたらしいのです。
それなのに、長井代助はこの額が甚だ嫌でしょうがないというように、漱石はいうのです。しかし代助は、違うだろう、明らかに運とかがあって成功しているだろう、「俺は誠実だったから成功した、じゃないよね、父さん」と思っているのですが、それはやはりお父さんには通じないのです。
しかも、代助にとってたちが悪いことに、このお父さんはその後の明治維新の際に、戊辰戦争に従軍したことがあるのです。それで、代助が来ると「誠は天の道」であると延々と説教をして、「おまえは何でいつまでもぶらぶらしているんだ。そろそろこういうふうに生きるということを、おまえも決めたらどうなんだ」例えば「嫁をもらう気はないのか」というように、ずっと説教してくるわけなのです。
そこで、「誠者天之道也」プラス何をいうかというと、「俺は戦争に行...