●現代のニートのような主人公の謎
では、三部作の真ん中の『それから』です。『それから』の主人公は、長井代助という男です。おそらくこの人は東京帝大を出ているのですが、30歳になっても独身のままで、しかも実家がお金持ちなので、実家頼りでぶらぶらしている人です。
『それから』は一度、1985年に映画になっておりまして、そちらでは松田優作がこの代助を演じて非常にいい演技をしています。一方で、三千代という人がヒロインで、この人と不倫の恋に落ちると決めるまでを描いているような小説です。こちらは藤谷美和子が演じていて、非常にこちらも好演でした。映画版も非常に優れた作品ゆえに、ある意味、漱石が書いた恋愛小説のように読まれることもあります。
しかし不思議なのは、結局、この小説は代助という、今風にいうとニート、ただしお金持ちだから暮らしに困っていないニートの主人公は、本当は学生時代、三千代という女性を好きだったのです。好きだったのですが、学生時代の親友にあたる平岡という男も彼女を好きだと言っていたので、「じゃあ、君とくっついたらいいじゃないか」と譲るのです。ところが、譲ったのにやはり諦めきれなくてというように、よく読まれがちなのですけれど、本当にそうかというと、実際に読んでみるとよく分からないのです。
この小説は、例えば新潮文庫版ですと本文が終わるまで344ページあります。では、主人公の代助が、学生時代に知り合ったときからいつ三千代さんを好きだったんだ、と私が思うかというと、なんと277ページまで思っていないのです。
それほど後まで思い出さないのかということで、「すみません、学生時代から僕はあなたが好きでした」というふうに普通は言うのですが、本当に好きだったのか、後になってからそう思い出したのか、実はよく分からないのです。これが『それから』という小説のミソではないかと私は思います。
なぜそう思うかというと、この小説は基本的に代助の主観をなぞる形で進んでいくのですが、代助は、冒頭から明らかにうつっぽい人なのです。冒頭の本文が始まるのが、新潮文庫ですと5ページですが、その5ページから何が描かれているかというと、とにかくまず、目が覚めるところから始まります。
目が覚めると、この主人公の代助は何をするかというと、寝たまま胸の上に手を当てて、心臓の鼓動を調べ始めるのです。...