●前期三部作のスタートを切る『三四郎』の時代背景
それではまず、(前期)三部作の最初をなす『三四郎』から入っていきたいと思います。
なぜ、これが(前期)三部作と呼ばれるかというと、1908年、1909年、1910年というように、テンポよく連続して発表されたのと同時に、それぞれ主人公は別の人なのですが、あたかも『三四郎』の主人公が作品としては終わったのだけれど、そのあと生きていたらどうなったか、ひょっとすると『それから』の主人公のようになったのではないかという感じで、別の人の話を書いていても、つなげて読むことができるということから、三部作といわれているのです。
『三四郎』は、ある意味で東大生小説として今も読まれたり、あるいは青春小説のように読まれたりするわけです。夏目漱石も一時教えておりました熊本の第五高等学校を卒業して、東大に入るのが小川三四郎という男です。大まかにいえば、この三四郎の成長物語となっています。
まさに地元の九州から東京へと列車で上京していく、その列車の車中から物語が始まる作品であるわけです。この作品のテーマですが、序盤に次のような一節があり、そこが一番分かりやすいところではないかと思います。この三四郎はもともと九州育ちで、東大に入って東京に出てくるわけですけれど、とにかく東京に来て、あまりにもいろんなことが地方と違いすぎることに驚きます。「なんだ、これは」と思うわけです。
それを作者の漱石(が描いているの)は、三四郎が東京に出てきていろんなことに驚き、不安にもなっているのですけれど、それに対して、けれど三四郎はいまだ「学生生活の裏面に横たわる思想界の活動には毫も気がつかなかった」、つまり小説の冒頭では、まだ表面的に「東京ってすごいな」と思っているだけで、本当の深いところで起きている日本の変化に気づいていないのです。
それは何かというと、漱石の言葉では「明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している」と書いています。つまり、ヨーロッパではゆっくり時間をかけて起きた近代化が、日本ではものすごいスピードで急速に起きていて、そこに地方から東大に受かって東京へ来て、その中に放り込まれた三四郎という青年が何を目撃するのか。こういう形で書かれているのが『三四郎』という小説です。
これは、ある意味で今風にいうと非常に...