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正岡子規と高浜虚子の論争、その軍配と江藤淳暦年のテーマ

AI時代に甦る文芸評論~江藤淳と加藤典洋(3)正岡子規と高浜虚子の「リアリズム」

與那覇潤
評論家
概要・テキスト
『江藤淳と加藤典洋』(與那覇潤著、文藝春秋)
文藝春秋
正岡子規の死後、高浜虚子が回想で述べた師・子規との論争。そこに「リアリズムとは何か」のヒントが隠されていると江藤淳氏は言う。子規と虚子、それぞれの「リアル」とは何か、そしてどちらが本当の「リアル」なのか。近代小説におけるリアリズムについて、『ポケモンGO』、コロナ禍の話を例に挙げて、また白樺派の作家として活躍した志賀直哉を取り上げながら解説する。(全7話中第3話)
時間:17:02
収録日:2025/04/10
追加日:2025/07/09
キーワード:
≪全文≫

●『ポケモンGO』で名所を観光するのはアリ?


 これを読んだとき――読んだといっても、私は江藤さんの引用で読んだのですが――なるほど、と思ったのです。それこそAI時代、IT時代というときに、1つエポックメイキングなものとして、『ポケモン GO』がすごく流行りましたね。2016年の夏にリリースされ、ものすごく流行って、私の周りも当時、皆が「始めました」「始めました」となっていました。あれが普及したときに、僕は少し異様な感覚を持ちました。

 それこそ東京であれば、例えば不忍池など、『ポケモン GO』が普及する前から名所的な場所があり、「ぶらぶら歩こうか」と歩く場所があったわけです。

 ところが、『ポケモン GO』が始まったとき、スマホを持っている全員が『ポケモン GO』をやっているのではないかというほどブームのときは、不忍池へ行っても誰も池を見ていないのです。その場所ではどのポケモンが出るのか、全員がばらばらにスマホを持って「ここではこのキャラがゲットできる」ということだけを見ている。その風景を見たときに、やや異様な感じがしました。これと同じことを、正岡子規と高浜虚子の論争を見たときに感じたわけです。

 虚子のほうは、要するに、「今、目の前の風景を見たら、『そこでかつて何があったのか』『この風景を先輩の作家あるいは歌詠みはどのように詠んできたか』ということを思い出すのが人間でしょう」と言っているのに対して、「そんなものは切り捨ててかまわない」と子規は言っている。

 これを今風に言い替えるのであれば、「日本には昔から多くの名所旧跡があるのに、そこへ行っても全員がスマホを出して、見て、このキャラ出たらレアなんだよねと『ポケモンGO』のことばかりを話していたら異常ではないですか」と聞くと、「全然いいじゃない。そのために観光客が増えるのだから。インバウンドなのだから」といった感性との対立、違いとそっくり似ているのだなと。

 つまり、「新しい感覚なのだから今までのことは忘れてもいいでしょう」と子規は言い張ったわけです。それに対して虚子は、「いやいや、『ポケモン GO』しか見ていないからこそ日本中を旅行したいという人が生まれたら、観光業が盛り上がるのだから全然いいでしょう」という感覚に妙に近いと私は感じたわけです。


●高浜虚子の考える「リアル」に軍配


 さて、そうした問題とも重ねて捉え...
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