●以前は「文芸評論」が必修科目のようだった
こんにちは。評論家の與那覇潤です。このたび『江藤淳と加藤典洋』(文藝春秋)という、2人の文芸評論家をタイトルとする本を出版しました。そこであらためて、なぜ文芸評論について論じるのかということをお話しさせていただければと思います。
江藤淳と加藤典洋と聞いて、「どちらもイメージが浮かぶ」という方、「名前は聞いたことがあるが、よく知らない」という方、どちらもいらっしゃると思います。ともに戦後日本を代表するといってよい文芸評論家、あるいは文芸批評家です。
江藤さんは、1932年に生まれて1999年に亡くなっている。これは今風に分かりやすくたとえますと、1945年が敗戦の年ですから、戦争に負けたときに現在でいう中学生くらいになります。つまり、思春期の一番ナイーブな時期に、敗戦が直撃した世代を代表する評論家が江藤さんでした。
一方、加藤典洋さんはといえば1948年生まれの、いわゆる団塊の世代です。戦争が終わった直後くらいに生まれた、「ベビーブーム」と呼ばれた世代の1人です。この人たちは大学生の時期がだいたい1970年前後で、「70年安保」「全共闘運動」という学生運動が一番激しかった頃です。加藤さんの場合は東大文学部で、やはり全共闘のメンバーだったわけです。つまり、戦争直後に生まれ、高度成長期にだんだん大きくなっていき、大学に入ったら「バリケードで大学を封鎖するぞ! おーっ!」とやっていた世代を代表するのが加藤典洋さんです。2019年、元号が令和になった直後くらいに亡くなっておられます。
世の中に向けて何かオピニオンを発信するという人は、いろいろな学問の方がやっていらっしゃいます。私自身も今、そうであるように、「特にこの学問が専門」というわけではなく、評論家という仕事をしている人もいるわけです。ある時期まで、「世の中に向けて何か意見を言いたい」という人にとって、文芸評論を書いてみることは必修科目のようになっていたところがあるのです。
文学をよりよく読むことができる人は、文学を通じて「人間とは何なのか」「今、どんな世の中が生まれているのか」「私たちはどんな時代に生きているか」ということを描き出すことができる人である。だから、文学を評論することは非常に重要なのだ、と思われた時代があったわけです。