●陰謀論扱いされている『閉された言語空間』
というわけで、文芸評論家が書いた優れた文芸評論に見られるセンス、特に「人はなぜ、何を事実と考え、何を表現して人に伝えようとするのか」を汲み取ろうとする発想は、「全てをファクトやデータという客観的なものに還元し、人間より高速に処理できるAIに委ねよう」という発想が見落としているものを再考することにつながるのだということを申してきました。
とはいえ、文芸評論家といえど万能ではないわけです。江藤淳さんも加藤典洋さんも非常に優れた文芸評論家だったのですが、こうした観点で見てくると、江藤さんにしても加藤さんにしても、「ある意味でAI時代にこそ輝くような文芸評論家の本分を、やや失ってしまったのではないかな」と思われることもあったりします。
例えば、江藤さんというと今、文学に興味ない人にとっては『閉された言語空間』の著者として、良くも悪くも有名になっています。GHQがいかに占領期に日本人を検閲したかという「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)」、つまり日本人は永遠に戦争犯罪人だといった意識を刷り込んだ恐ろしい統治がGHQ時代に行われたのだという、ある種の陰謀史観の書き手として、江藤さんを「悪い奴だ」といったイメージを持っている方も多くいます。
この『閉された言語空間』は1980年代の半ばに連載されまして、本になったのは1989年の8月です。つまり昭和が平成に入ってから最初の8月の夏に本にしたのですね。
ちなみにGHQがさまざまな検閲やプロパガンダを行ったこと自体は史実としてあります。江藤さんの調査で明らかになった史実もあるわけですが、しかし、それが戦後の日本人全員を洗脳し尽くしたといった言説は陰謀論ではないかといわれて、非常に今、評判の悪い書物になってしまっているところがあります。
けれど今、振り返りますと、おそらく江藤さんの『閉された言語空間』は、もともとは「ファクトとして検閲があったんだ」、つまり「陰謀はあった」といったことを言いたい本ではなかったのではないかと思われるのです。
●吉本隆明との対談で江藤淳が主張した問題提起
近年は江藤淳研究が著しく進展をしています。この江藤さんから――江藤さんは最期、自殺で亡くなっておられますので――生前最後の原稿を受け取った編集者・平山周吉...