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夏目漱石を苦しめた西洋的な「こころ概念」

世界の語り方、日本の語り方(5)〈こころ〉を解き放つ

中島隆博
東京大学東洋文化研究所 教授
情報・テキスト
ことば・からだ・こころの中でも、特に実体を持たない<こころ>の問題はとりわけ厄介だ。近代以降の日本には西洋的な「こころ概念」が輸入され、夏目漱石以降の知識人を苦しめてきた。(2019年2月14日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「世界の語り方、日本の語り方」より、全9話中第5話)
時間:05:28
収録日:2019/02/14
追加日:2019/07/31
キーワード:
≪全文≫

●私のこころと人のこころをきれいに分けることはできるのか


 もう一つは、「こころ」です。こころについては、よく「私のこころ」という言い方をします。私もよく子どもたちに、「お父さんは私のこころが全然分からない」などと言われています。「いや。まあ、そうだろう。でも、お父さんはお父さんのこころもよく分からないんだ」と私は言います。人のことはもちろんよく分かりませんが、自分のこともなお分かりません。逆に、自分のことは分からないのに、人のこころが分かるときがあります。何か不思議な気がしませんか。いったい何が起きているのでしょうか。

 今の脳科学では、身体の中に脳があり、脳にこころがあるという研究を進めています。確かに、それはそれで間違ってはいないのでしょうが、十分ではない感じを私は受けています。

 例えば今、何人かがいるときに、私たちのこころは、どこにあるのでしょう。一人一人にこころがあって、それらを今ここに出し合っている感じでしょうか。ちょっと違いませんか。この間にこころがあって、そのこころを今みんなで生きている感じがしませんか。

 こころといっても、そう簡単なものではなさそうです。私のこころと人のこころを、本当にきれいに分けることができるのでしょうか。


●夏目漱石『こころ』に見る「インティマシー」と「インテグリティー」


 近代になると、こころは大変な目に遭います。なぜかというともちろん、西洋的な「こころ概念」が登場したからです。夏目漱石は、「よし、西洋的なこころをつくろう。それは、個人主義だ」と言ったわけですが、結局はできずに終わっています。

 漱石にできないことがわれわれにできるとは、私にはあまり思えないのです。漱石が胃を壊して苦しんだ難事ですから、われわれはやめておいた方がいいのではないかと思います。

 その漱石がまさに『こころ』という本を書くわけです。あの本は何なのでしょうか。漱石のこころが分かるのかというと、それは違います。この本は、ある秘密を共有してしまう物語です。

 秘密というのは得てしてつまらないものですが、当人にとっては非常に大事だったりします。後から聞いてみると、「何だ、それだけか」というのがほとんどの秘密です。でも、その人にとってかけがえのないものとして秘密があり、それを誰かと共有することの中に、とても大事なことがあるのではないか。

 「インティマシー(親密な)」ということばがありますが、トマス・カスリス氏(オハイオ州立大学名誉教授)に言わせると、「インティマシーとは、自分の秘密を親友に伝えることだ」といいます。漱石の『こころ』という作品は、まさにそのインティマシーによる構造をきれいに出したものだといえます。

 ところが、近代的・西洋的なこころというのはインティマシーのこころではなかったのです。再びカスリス氏に戻ると、インテグリティー(統合された、他から影響を受けない)のこころだったということです。でも、漱石はいろいろな苦闘の後、もう一度インティマシーのこころを問題にしようとしたのではないかという気がします。
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