クーデターには、腐敗した政治を正常化するために行われる「世直しクーデター」の側面もある。そうしたクーデターは、日本では江戸時代の「大塩平八郎の乱」が該当するが、台湾においては困難ではないか。それはなぜか。今回は世直しクーデターとして成功させるための条件と、昭和に起こった2.26事件などを参考に一手で歴史が大きく変わりかねないその判断、決断の是非について解説する。(全6話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●「世直し」としてのクーデター
最後に皆さんに問題提起したいのは、この写真にもあるのですけれど、タイは軍が、自分たちがタイの国というのを守るのだというのを自認していて、政治家が汚職なり、腐敗なり、道を踏み外したときに自分たちが介入して、その悪い奴らを懲らしめる、正義の味方のつもりで彼らはいるわけです。
実際に、本当に欲がなくて、介入して、軍政を敷いて、「両者、撃ち方やめ」とやって、すぐ選挙をして、選挙結果に従って権力を戻すということもやれますけれど、それをしないときもあります。このままだと政治家がまた戦いを続ける、混乱がまた来ると考えたときに、将軍はそのまま権力者としてのさばって、10年ぐらい権力の座にあったこともあるので、必ずしも常に世直しになるとは限らないのですけれど、世直しクーデターの可能性はタイでもありました。
それから、うまくいっていれば、エジプトでもムバラク独裁政権を倒しました。スーダンでもバシール独裁政権を倒しました。そのときは軍と民衆が共同して倒しました。民衆が暴動し、その暴動に軍が乗っかることで倒しました。そのときの軍の指導者がいい指導者であれば、民主化が進むのですけれど、そこで権力に溺れてしまって、権力を手放したくなくなると、内戦になったり、軍政が続いたりするという両刃の剣ではあります。
私としては世直しクーデターという可能性はあって、住民が独裁や権威主義にあえいでいるときに、民衆が立ったならば、民衆を弾圧するのではなくて、民衆の側に立って権力者、独裁者を排除するというクーデターも過去に何回かあったので、クーデターは完全な悪ではなくて、正義の味方になり、民主主義を進める可能性もまったくないわけではないと主張したいのですが、そういうことに関して皆さんのご意見もお聞きできればなと思います。
●台湾が「世直しクーデター」を実現することの困難
―― 世直しクーデターは非常に印象的な言葉であります。それこそ今の日本のように政治が乱れてくると、「もういい加減にしろ」「誰かあいつを追い出せ」というような意見というのをお持ちの方もいらっしゃるかもしれないのですけれど、そういう気持ちは日本の場合、まだまだレベルとしてはそんなに高まっていないとは思います。本当に権威主義、独裁国家の場合には、そうで...