●「小説は有害」と批判した4年後に書いた『ロビンソン・クルーソー』
前回の話を踏まえ、より深くこの問題を考えていくために、では『ロビンソン・クルーソー』の何が新しくて、なぜ同じ時代の他の小説のように時代に埋もれることがなかったのかという点を、ここからは検討したいと思います。
それを検討するための鍵、あるいはヒントとなるのが、前回ご紹介した『家庭信仰のすすめ』の作者は誰かという問題です。この作品では、小説や脚本というものは有害であるというふうに作者が言っていました。そのようなことを言った人物は誰だったのかというと、他でもない、ダニエル・デフォーだったわけです。
つまり1715年に、小説というのは子どもにとって有害であるというふうに批判した人が、4年後に、他でもない小説『ロビンソン・クルーソー』を書いたということになるわけです。
さらにいうと、そもそもこの『家庭信仰のすすめ』という作品もちょっとおかしな作品です。どういうことかというと、作品のなかで小説や脚本は有害だと言っているんですが、この作品自体が、先ほど少しご説明したように、架空の、当時の一般家庭を舞台にした演劇のスタイルで書かれているわけです。お母さんが前回言ったような台詞を言い、その後、娘が帰ってきて、怒っているといったやりとりがこの作品の全体を占めているわけですね。
ということで、どうもこのダニエル・デフォーという人は、作品のなかで言っていることと作品を介してやっていることとが矛盾しているのではないか、一致していないのではないか、と思われるわけなのです。
●『ロビンソン・クルーソー』の表紙にデフォーの名前がない
デフォーは、本当は小説や芝居のような文学作品をけっこう好きだったのに、何らかの事情で、あえて小説や脚本は有害だと言っていたのでしょうか。そう思って、いろいろ調べてみると、どうもそうではない。デフォーという人は、ある面において小説や脚本は本当に有害であると考えていたらしいのです。
その証拠に、今、お見せしているのが『ロビンソン・クルーソー』の初版の表紙です。この表紙を見ていただくと、普通、文学作品なり小説にあるべきものが載っていません。それは何でしょうか。
英語で書かれている上...