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デフォーの人生に影響を与えたカルヴァン派の「予定説」

『ロビンソン・クルーソー』とは何か(6)デフォーの人生

武田将明
東京大学総合文化研究科言語情報科学専攻准教授
情報・テキスト
ダニエル・デフォー
『ロビンソン・クルーソー』の著者ダニエル・デフォーはどんな人生を歩んできたのか。重要なポイントは、デフォーの家族がイングランドで多数派の信奉する「国教会」という宗派ではなく、「長老派教会」という教会の信者だったことだ。そのことがデフォーの人生に大きな影響を与えている。そこにはカルヴァン派の「予定説」の影響もかなり大きいという。(全7話中第6話)
≪全文≫

●挿絵で見る『ロビンソン・クルーソー』の名場面


 『ロビンソン・クルーソー』についてのお話はだいたいこれぐらいにいたしますが、少し、今スライドでご覧いただいている図版を説明しておきましょう。

 左側の図版が、ウォルター・パジェットという19世紀の挿絵画家による挿絵です。第5話でご紹介した、浜辺に一つだけ足跡を見つけたときのロビンソンの驚きを描いた、非常に巧みな版画です。ダニエル・デフォーの同時代ではありませんが、非常に有名な版画でもあります。

 また、この右側の肖像画は、ご覧いただければ分かるように、デフォー本人の肖像画になります。こういう人物だったわけですね。

 まだ少し時間があるようですので、デフォーの人生について、またデフォーの書いたもう一つの作品『ペストの記憶』について補足的にお話をして、今回のシリーズ講義を締めくくりたいと思います。


●デフォーの人生に影響を与えた教会宗派


 デフォーという人物は、実に魅力的で、実に不思議な人物です。彼の人生について語ると、それだけで1時間ぐらい話せてしまうのですが、今日は今までのお話と関係する部分だけお話ししたいと思います。

 まず、重要なポイントとして、デフォーの家族はイングランドで多数派の信奉する「国教会(Anglican Church)」という宗派ではなく、「長老派教会(Presbyterian Church)」という教会の信者だったことが挙げられます。これが、デフォーの人生に大きな影響を与えています。

 "Presbyterian"の人たちを含めた「国教徒でない人」たち、つまり非国教徒を"Dissenters"と英語で総称します。この非国教徒は、オックスフォードやケンブリッジのような、今でも有名なイギリスの大学には入学できませんでした。現代の感覚でいえば、単なる宗派上の差別です。なので、デフォーはこういった大学に入学できませんでした。

 いっさいの高等教育を受けなかったわけではありません。非国教徒用とはいえ、アカデミーを出ていますから、学問はしっかり修めていますが、こういった伝統的な大学で勉強するのとは全然違うカリキュラムで、デフォーは学問を修めています。なので、これまですでに少し触れたように、伝統にとらわれない文学を書くことができたというわけなのです。


●カルヴァン派の「予定説」が導いたもの


 他に、非国教徒であることの影響として、やはりカルヴァン派の「予定説」という宗教上の考え方の影響はとても大きいと思います。「予定説」というのはどういう考え方かというと、もちろんキリスト教の一派の考え方なのですが、「神に救済される者とされない者とは、予め定められているのだ」という考え方です。つまり、個人がどれだけ努力しようと、あるいは個人がどれだけ強い意志を持って宗教的に生きようとも、救済される者とされない者とはすでに神が定めてしまっているのだという考え方です。

 デフォーの属していた“Presbyterian Church(長老派教会)”というのは基本的にはカルヴァン派ですから、デフォーもまたカルヴァン派の教義に深く影響を受けていたはずです。なので、こういうことになります。「自分が自らの意志(自由な意志)で行動しているつもりでも、神の意志に操られているだけではないか」「神が予め自分の行動を決めているのではないか」。予定説を文字通り信じてしまうと、その結果「自分の本当に自由な意志は、あるのだろうか」という不安が生まれてくるわけです。

 ここで思い出してほしいのですが、ロビンソン・クルーソーは父親に心から説得されたのに、結局家庭にとどまらずに海に出てしまう。その理由を、「実は神によって定められた悲運なのではないか」と言っていました。これは、まさに予定説の考え方です。

 つまりロビンソンは、自分がもはや神に救われない者として予定されてしまっているので、どんなに正しい意見を聞いても、自分は正しく行動できないようになっているのではないか。そういうことを考えたという説明はできます。

 ですから、このような「言行の不一致」を、ロビンソンがいわば神のせいにできた背景として、デフォーの宗教上の考え方を挙げることもできるでしょう。


●専業作家でなかったから生まれたデフォーのビジョン


 また、デフォーという人物は専業の作家ではありませんでした。作家という職業を考えると、現代でも、なかには私のように大学で教えている人もいらっしゃいますが、基本的には多くの作家は小説を書くことを生業にしている人たちです。ところが、デフォーの場合はそうではなかったのです。

 デフォーは自分で商売をやってもいたし、工場の経営なども手がけていました。同時にジャーナリストとして、実に...
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