●道教の「十王思想」に仏教がミックスされた「地獄」
橋爪 さて鎌倉時代になると、貴族から金を巻き上げようにも、その貴族の財布が心もとなくなってきた。寺社も、荘園からの年貢の上がりが減ってきた。新しい資金源はないものか。これまで手つかずだった一般庶民から小口の資金をたんまり集めようという話になってきたのです。
そこで、庶民を脅しつける一大キャンペーンの作戦が展開された。「おまえたちはいろいろ罪を犯しているだろう。そういう生活をしていると、バチが当たって地獄に行くんだぞ。地獄はこんなひどいところだぞ」というわけです。特にお寺をないがしろにして、支払いを怠るのが大変な罪である。
親が死んだら、子を脅しつける。地獄に着くと、7日ごとに厳しい取り調べがあるので、それに合わせてお寺でお経を上げたりしなくてはいけない。四十九日、一回忌も大事。それから3年目、7年目、…とお祀りをして、そのたびごとにちゃんとお寺に支払いをしないといけない。「お寺にお金を払わないのが一番罪が重い」というお経があると都合がいいな、と。
―― なるほど。
橋爪 そこで、経典をでっちあげたのです。偽経ですね。これを「地蔵十王経」といいます。正式の名前は長たらしい。
―― 『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』ですね。
橋爪 そうそう。そういう名前のお経なのですが、「地蔵十王経」でいいでしょう。これを、あたかも中国で訳されたお経であるかのように、日本人が作文したわけです。
これにはタネ本があります。中国から来た「十王思想」を記した「十王経」なのですが、これは道教のお経なので、仏教とは関係ありません。
―― 仏教ではないわけですね。
橋爪 そうです。道教では、人間は死んだら「鬼」になるんです。鬼=死者のことで、死者は地面の下にある地獄に行く。そして生前の罰を裁かれ、犯した罪に応じていろいろな地獄で罰を受ける。そのおどろおどろしいありさまが実に詳しく書いてあるのです。
なぜ「十王」なのか。「王」といわれているは、地獄の役人で、まあ神です。それが十人いて、順に取り調べを受けます。その結果、最終的に処罰が決まるのですが、地獄にも厳しさの等級がいっぱいあります。
ひどいところへ行かされるのは、不道徳や不品行が原因の場合もありますが、権力をかさにきて民衆をいじめたり、汚職や賄賂を取ったりするのが特にいけません。これは民衆の道徳心や倫理感を満足させるというので、中国で大流行し、日本にも入ってきてそれなりに流行したのです。
このように道教に地獄があるわけですが、『地蔵十王経』はこれを、仏教の地獄にリメイクしたのです。地獄はもともと、仏教にもありました。六道のひとつです。そこで十王を、それぞれ十人の仏が姿を変えたものだということにした。主役は地蔵菩薩だけれども、釈迦仏や阿弥陀仏も十王になっていて、オールスターです。まるで仏教が地獄に引っ越してきて、店開きしたような具合です。
また、そこで取り調べを受けた後の行き先も、仏教の輪廻にあわせて、「畜生道」に行く人、「修羅道」に行く人、「餓鬼道」に行く人、などと変えてある。
―― はい。
●三途の川や奪衣婆も日本人の創作
橋爪 ついでに、日本風な脚色もいろいろしてあります。死者は「三途の川」を渡ることになっていますが、三途の川はこのお経で初めて出てきたもので、中国の原典にはありません。
―― ないわけですか。三途の川は、だいたい多くの日本人が考えるイメージですね。
橋爪 川の真ん中に橋があって、そこを渡ればいいのだけれども、たいていの人は何がしかの罪があるので、浅瀬を渡っていく。罪がもっと重いと、深い淵を渡らなければならない。そこには怖いワニなどがいて、渡る途中に襲われることもある。このように3つのルートがあるため、「三途の川」と呼ばれるのです。
―― なるほど。
橋爪 それから、「奪衣婆(だつえば)」という老婆がいて、着物を奪う。これを木に掛けると、罪の重さで枝がしなって罰の軽重が決まる。いかにもありそうな迫力満点の話がいっぱい書いてあるのです。
これはたぶん、みなに語り聞かせるものです。おそらく絵図もあって紙芝居みたいだったのでしょう。テレビも何もない昔、彩色のむごたらしい絵を見せられると、みんな震え上がる。
そこで、「ついては、お葬式を仏教式でやりなさい」と売り込む。それまでの仏教はお葬式とは関係なかったはずなのですが、この「地獄キャンペーン」は、「仏教式のお葬式をやりなさい」「ついては、お金を払いなさい」なのです。広告代理店も顔負けの宣伝キャンペーンです。
これが大成功して、死後の世界と地獄のイメージが、日本人の頭にこびりつきます。日本人が昔からこんなことを考えていたわけではなく、平...