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世界の宗教は死をどう考えるか…科学では死はわからない

死と宗教~教養としての「死の講義」(1)「自分が死ぬ」ということ

橋爪大三郎
社会学者/東京科学大学名誉教授/大学院大学至善館教授
概要・テキスト
『死の講義』(橋爪大三郎著、ダイヤモンド社)
生き物はみな死ぬが、死ぬそのときまで、死ぬと思っていない。人間は死ぬとわかっているが、死は体験できない。科学でも歯が立たない。では、どうすれば死に向き合えるのだろうか。有史以来、営々と重ねられてきた「死」の思索のエッセンスは、宗教にあるはずだ。(全7話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:14:28
収録日:2022/03/03
追加日:2022/04/11
キーワード:
≪全文≫

●なぜ「死」について考えなければならないのか


―― 皆さま、こんにちは。本日は橋爪大三郎先生に「死」についての講義をいただきたいと思っています。橋爪先生、どうぞよろしくお願いいたします。

橋爪 はい、よろしく。

―― 橋爪先生は、『死の講義』(ダイヤモンド社)という本を書いておられます。「死」について、いろいろな宗教がどう教えているかをまとめたものですね。

 本日はこの本にそってお話をうかがえればと思います。誰もがいつかは、死を迎えるものですけれども、いざ考えるのはむずかしい。そもそも、なぜ「死」について考える必要があるのでしょうか。

橋爪 それは、誰でも死ぬからです。例外がない。身近なようだが、実は身近でもない。「死んだらどうなるのか」と考える人はみな、まだ死んでいません。まだ先だろうと思っているうちに、ある日急に死んでしまう。「死」のことなど考えないで、ずっと生きていける。死を経験した人はいない。この社会の人間はみんな生きていて、誰もまだ死んでいない。死んだ人に「死んだらどうでしたか」と聞くわけにはいかないんです。誰も「死」を経験していない。だから考えるのが難しい。これがひとつ。


●科学は「死ぬ」ことについて何も言ってくれない


―― 経験できないとなると、科学は「死」を研究できないのですか。

橋爪 はい。科学は知識の中で、いちばんしっかりした確実な知識だと、近代人は考えます。科学は、あやふやで疑わしいことは言わない。観察したり実験したりして、確実に確かめられたことだけを言います。科学は物理や化学など、いろいろな学問分野に分かれ、それがまた細かな専門に分かれて、確実な知識を積み上げられていく。

 科学は今も発達中で、そのうち「死」のことがわかるかというと、わからない。なぜか。まず第一に、何かを確かめるには、科学者がいて、その科学者が生きていなければならない。

―― はい。

橋爪 科学者も死にますが、科学の活動は、次の科学者にバトンタッチされます。物理学者も化学者も医学者も、どんどん若い学者が出て来て、前の世代のひとに置き換わっていくのに、誰もそのことには気づきません。科学者が死ぬとしても、その科学者の「死」を研究する科学はないのです。

 他の誰かが死ぬところは観察できますが、それはひとごと...
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