●釈尊は死んでどうなったか
―― 釈尊の亡くなる情景を描いた「涅槃の図」では、周りの弟子たちが嘆き悲しんでいます。仏教では、釈尊が死んだ後、どうなると考えているのでしょうか。
橋爪 輪廻するなら、別な生き物になるのが原則です。バラモン教、ヒンドゥー教では覚りをきわめたバラモンはご褒美として人間より上の天人になると考えていました。
―― 覚れるかどうかで、その後が変わってくるわけですね。
橋爪 覚るなら、素晴らしい原因を積んだことになるので、アップグレードします。バラモンは、もうその上がないので、天人になるのです。
この考え方だと、天人になったのはいいけど、堕落したらまた人間になってしまう。輪廻は終わりがありません。
―― よく言われることですが、インドには厳しいカーストがあり、差別構造が保たれています。それらも、輪廻の考えにのっとっているわけですね。
橋爪 はい。人間がいて、トラがいて、ゲジゲジがいる。生物界には多彩な階層があります。それらがすべて輪廻でつながれ、因果関係で貫かれているのです。だから、人間にもいろいろあっても、因果関係に貫かれている以上、それは差別ではないのです。
釈尊の弟子たちはバラモン教の考えを否定し、釈尊は覚っても天人になどならないと考えました。釈尊はバラモン以上の、本当の真理を覚った。それを覚れば、輪廻の法則の外に出てしまうから、もうなにものにもならない。死ねば雲散霧消して、宇宙と合体すると考えたのです。
―― なるほど。
●在家修行と空
橋爪 こうして釈尊は、覚って仏となったあと、死んで、どこにもいなくなってしまいます。しかし、その教えは残っている。釈尊の見つけた因果の法則は、この宇宙に永遠に満ち満ちている。
だから、その気があれば、誰でも見つけることができる。その気があれば、誰でも覚ることができる。仏教にはいろいろな宗派がありますが、ここまではすべて共通です。
―― 覚ることができるという部分が、共通だということですね。
橋爪 覚る内容が因果法則だということ。そして、誰でもそれを悟れるということです。
―― よく仏教では、空(くう)という言葉を使います。この言葉がその因果関係を意味するのでしょうか。
橋爪 空は大乗教が言い出して、般若経にのべてあることです。大乗教の人びとは小乗と異なり、最初は出家者でなかったのです。
釈尊は出家者で、その弟子はみんな出家しました。そして、みんなが釈尊のような覚りをえていきました。しかし、家に病気の親がいるなど家庭の理由で、出家できない人もいます。では出家できないと覚れないのか。それはおかしいではないかと、大乗教は在家の人びとの信仰を重視する議論を展開した。
釈尊が覚ったのは、たった6年間出家修行したからなのか。いや、あれほど素晴らしい境地に至るには、長い長い輪廻を繰り返し、輪廻するなかで多くの修行を重ね、それが原因となって覚ったのだ。だから、たった6年間出家修行をしてもブッダにはなれない。そして、輪廻を繰り返しながら修行した大部分の時間は、在家としての修行だったはずだ。だから、釈尊のようにブッダになるには、在家修行が大切だ、と主張するようになります。
―― なるほど。
●法と空
橋爪 これは、出家できない在家の人びとにとっては大変都合がいい考え方です。私たちは在家だけれども、ブッダになるための修行をしているのだ、と思えるのですね。出家して、釈尊の真似をしても、どうせはるかにブッダに及ばない阿羅漢止まりさ、なのです。
阿羅漢はもともと最高の位だったのですが、大乗教に言わせると、大したことがない。どこまでもブッダのほうが上である。だから、自分たちは、ブッダの覚りを目指す、と。ブッダの覚りは、小乗の覚りと違い、空だと言います。
どう違うのか。小乗の人びとが覚った法則は、実は存在しない。すべては実体がないのだから、法則も実体がない。法則に実体がないことが、本当の法則だと言うのです。これが、空である。
―― 小乗の人が覚った、その法則は、先ほどの因果関係のことですか。
橋爪 因果関係が、法ですね。そして、それは本当の法ではない。嘘の法だ、と言うのです。大乗のグループだけが本当の法を知っていて、それは空だと言うのだから、これはかなり無理な主張なのです。
―― そうすると結局、空とは、どういう主張(法則)になるのですか。
橋爪 法則があると思っているうちは、法則をわかっていない。法則なんかないと思うことが、法則なんだということです。
―― これは、なかなか覚りが必要な境地になってきますね。
●仏教の根底にある覚り
橋爪 ですから般若経は、生半可なことでは理解できません。般若心経を読んでみると、小乗仏教以来の常識をひ...