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「空-縁起」とは…そして『歎異抄』が伝える親鸞の魅力

【入門】日本仏教の名僧・名著~親鸞編(3)「空-縁起」と『歎異抄』

賴住光子
駒澤大学仏教学部 教授
概要・テキスト
「空」と「縁起」は大乗仏教の中心的な概念である。あらゆる存在が単独に成り立つのではなく、関係性の中で生じているとする、現代思想とも通じる考え方だ。そのうえで「阿弥陀仏は光である」「世界全体が光である」とは何を意味するのだろうか。『歎異抄』でのエピソードも交えながら、親鸞の教えに迫る。(全4話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:22
収録日:2020/09/30
追加日:2022/03/11
カテゴリー:
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≪全文≫

●あらゆるものが「関係的」な存在だと示す「空-縁起」


―― (前回の最後に出てきた)「空-縁起」について、空はいわゆる「ソラ」と書く「空」ですね。縁起は縁を起こすと書いて「縁起」だと思うのですが、「空-縁起」となると、どういう意味になるのでしょうか。

賴住 「空」と「縁起」は、同じことを別の言い方、別の角度からいっている言葉になります。「空」というのは、あらゆるものは関係の中でそのものとなっているということであって、そのもの自体として存在しているのではないということです。

―― 一般的に「空」というと、「何もない」というイメージをよく受けるのですが、そうではないということですね。

賴住 そうですね。「空」というと、字面から「空っぽ」「何もない」というような感じを受け、誤解されることもありますが、そうではありません。「関係の中で存在している」ということで、それ自体として存在しているのではないということです。要するに仏教の「無我」の教えですが、無我も「自分がなくて人の言いなり」というような間違った捉え方をされることがあります。しかし、無我は、「自分という固定的なものがあるのではない」という考え方で、「空」と同じことになります。

―― いろいろなものとの関係性の中ということは、絶対的な自分というものがあるのではなく、むしろ相対的な位置づけとして自分があるのだというイメージでしょうか。

賴住 そうですね。自分というのは、他者との関係の中で常に移り変わっていくという捉え方になってくると思います。

 また、「縁起」というのは、まさに「関係の中で起こってくる」ということです。人間もそうだし、あらゆるものが「関係的な存在」だということを、「空-縁起」という言葉は示しています。


●世界の原理に気づけないのは、煩悩に囚われた自我のせい


賴住 そういう「空-縁起」でできている世界を指し示していくときに、親鸞は「阿弥陀仏は無限の光(アミターバ)である」とか、別の言い方で「阿弥陀仏は無限の命(アミユータスである」といっているのです。

 まさに命が光明であり阿弥陀仏であるという考え方になっていくと思うのですが、その場合の命や光といわれるものは、自分の命や自分の光ということではありません。世界全体が命や光に満たされていて、それが一つのかたちを取るときに阿弥陀仏になったり...
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