●どんな難にあっても法華経を捨てない、強い決意
―― 続きまして『開目抄』です。こちらの文章になりますけれども、『開目抄』はどのようなものになりますでしょうか。
賴住 先ほどの『観心本尊抄』と同じように日蓮が佐渡で書いた著作で、これも日蓮の主著というべき非常に重要な著作です。
―― では、さっそく読んでみたいと思います。
「詮ずるところは、天もすて給へ。諸難にもあへ。身命を期とせん。(中略)善に付け悪に付け、法華経をすつる、地獄の業なるべし。大願を立つ。日本国の位をゆづらむ、法華経をすて、観経等について後生を期せよ。父母の頸を刎ねん、念仏申さずは。なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ゐじとなり。その外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。」
ということで、かなり強い言葉が並んでいますね。
賴住 そうですね。これは非常に有名な日蓮の言葉ですが、自分はどう考えているかということをまとめてみるとこういうことなのだということです。例えば、天が自分を見捨てて諸難に遭ったとしても、自分は命の限り次のように考えているのだというように始めます。
その後ですが、「法華経をすつる(捨てる)」というのは、これはもう地獄に落ちるような、とんでもない行動なのだといっています。自分はどんなことに遭っても、天に見捨てられたとしても、さまざまな難に遭ったとしても、絶対に法華経を捨てないのだということを、ここで強く宣言しているのです。
そして「大願を立つ」ということで、自分はここに願を立てて、それを守ることを誓います、といいます。どういう願を立てるのかというと、日本の国の位を譲りましょう(日本の国の王さまにしてあげましょう)といわれたとしても、自分は絶対に法華経を捨てないということです。
さらに「法華経をすて、観経等について後生を期せよ」ということで、もし法華経を捨てて、「観経」すなわち念仏の教えを書いた浄土教の経典を信仰し、死後に浄土に往生することを望みなさいといわれたとしても、自分は絶対に法華経を捨てないといいます。
「父母の頸を刎ねん、念仏申さずは」というのは、「念仏を唱えなければ、自分のお父さんやお母さ...