●「陀羅尼品」が告げる写経や供養、説法の徳
鎌田 前回、「観世音菩薩普門品」では観音さまがいろいろなアバター、キャラクターで人々を救済する姿を具体的に見せるという話をしました。その次の章は「陀羅尼品」といいます。『法華経』下巻、「観世音菩薩普門品」第25の後、「陀羅尼品」第26という並びになっています。その「陀羅尼品」の冒頭を少し紹介いたします。
〈その時、薬王菩薩は即ち座より起ちて偏に右の肩をあらわし、合掌し仏に向いたてまつりて、仏に申して曰く、「世尊よ、若し善男子・善女人の能く法華経を受持せばする者ありて、若しくは読誦して能く悟り、若しくは経巻を書写せは、幾ばくの福を得るや」と。〉
このように質問するわけですね。すると、仏は次のように薬王菩薩に言います。
〈仏は薬王菩薩に告げたもう「若し善男子・善女人ありて、八百万億那由他の恒河の沙(ごうがのしゃ)に等しき諸仏を──ガンジス川の砂ぐらいの数の諸仏がいる、菩薩ももちろんいるのです──供養せば、汝の意において云何ん。その得る所の福は、寧ろ為(こ)れ多しや、不や」と。
「甚だ多し、世尊よ」と。〉
つまり、そのぐらいの仏を供養したらどうであろうか。得るところの幸福は大変なものかどうか。「それは大変な幸福でしょうよ」というふうになって、この後に続きます。
〈「若し善男子・善女人にして、能く是の経において、乃至、一の四句偈をも受持し、読誦し、義を解り、説の如く修行せば、功徳甚だ多し」と。
その時、薬王菩薩は、仏に白して言わく「世尊よ、われ今、当に説法者に陀羅尼呪を与えて、以って之を守護すべし」と。〉
薬王菩薩が、仏の前で説法する者に「陀羅尼」を与え、陀羅尼を一つの方便にして救済していくと。陀羅尼というのは真言陀羅尼と言われているぐらいで、真言(=真実の言葉、仏の言葉)とほぼ同等の意味合い、力を持っているものです。
―― 真言というのは、仏を求めるマントラですね。
鎌田 マントラですね。仏の世界を表現する真実の言葉です。
●「陀羅尼」の功徳がつなぐ『法華経』と真言
鎌田 「陀羅尼」は「総持」とも訳されるのですが、真言とほぼ同じような意味合いを持っている。日本では「真言陀羅尼」のセットという言い方でいわれること...