●菩薩の意味合いと三乗思想
―― (今回は)補足的にお伺いしたいことがあります。
鎌田 どうぞ。
―― 先生のおっしゃる「菩薩」というのは、端的にいうと「誰かを救う行為」のようなことになるのですか。どういうふうに捉えたらよろしいですか。
鎌田 菩薩は、サンスクリットでいうと「bodhisattva(ボーディサットヴァ:菩薩)」です。菩提の菩、薩(サットヴァ)というのは、それを持って(維持して)いる人とか、そういう存在(パーソン)というような意味合いです。
そうすると、菩薩というのは、教学的には、仏になる一歩手前まできた修行者のある段階です。
三乗思想がありまして、仏に近づく段階として、いわゆるテーラワーダ・初期仏教の世界、小乗仏教といわれているものには、声聞(乗)、縁覚(乗)というのがあって、その次の第三番目に菩薩(乗)が来る。
声聞、縁覚というのは、声聞は仏の教えを聞いて悟りに近づき、悟りの世界に入っていこうとする人。縁覚というのは縁によって(悟りに近づくもので)、『勝鬘経』や『維摩経』のようなものがそういう経典の一つになるわけです。
それに対して菩薩というのは、もう、もちろん自分は悟りに至っているのだけれど──ここがちょっと面白いフックというか屈折しているところで──悟りを得ているのだけれど一歩手前であえて止まる。そして人々を、その悟りの智慧と慈悲で救済するという覚悟を持った存在。これが菩薩だと一般に位置づけられています。
●菩薩思想と『法華経』の演劇的表現
鎌田 しかしながら(仏教には)いろいろな菩薩の姿形が出てきて、お釈迦さまも前身は菩薩であった(といわれる)。そういう菩薩の一つに「法蔵菩薩」があって、法蔵菩薩の願がやがて阿弥陀如来になったなどといいます。阿弥陀如来も一つの願いを立てたとされている。その願いを実現して、全ての者を救済するのが四十八願というわけです。
このように、菩薩思想は阿弥陀経典であるとか、いろいろなところへ展開していくわけですが、『法華経』はその一番最初の先陣を切って、菩薩思想の展開をスペクタクルにやったということになります。だから、菩薩経典ないし菩薩曼陀羅といえる。菩薩の世界がブワーッと現れる。それ(菩薩)が「救済の具体的な方便の現れ」ということになります。
―― よく言われるように法華経は、いろいろな方便の物語...