●アメリカは政治も経済も全部キリスト教抜きには考えられない
―― 皆さま、こんにちは。本日は橋爪大三郎先生に、アメリカ理解に必須の「アメリカの教会」というテーマでお話をうかがいたいと思います。橋爪先生、どうぞよろしくお願いいたします。
橋爪 はい、どうぞよろしく。
―― 橋爪先生は、『アメリカの教会~「キリスト教国家」の歴史と本質』(光文社新書)という本をお出しになっています。この本を拝読していますと、日本人のアメリカ理解が十分に及ばないのは、アメリカの教会について理解していないからだということで、非常に詳しくアメリカの教会の歴史をお書きいただいています。先生、この本をお書きになったご趣旨と、この本の特徴について、少し教えていただいてよろしいでしょうか。
橋爪 まず、日本にはキリスト教徒が少なく、人口の約1パーセントです。残りの人はあまりキリスト教に縁がなく、詳しいことを知らないのは、やむを得ない面もある。しかしながら、日本にとって大事な国であるアメリカには、クリスチャンの数がとても多いのです。
ほぼ毎週教会に行っている人が約3分の1から半分ぐらい。教会に行かない人でも、子どもの頃に行った体験などを通して、よく知っています。むしろキリスト教以外のことは知らないと言ったほうがいい。つまり、どっぷり首までキリスト教に浸かっている国だと思えばいいわけです。
―― はい。
橋爪 ヨーロッパの国々もいちおうキリスト教国ではあるのですが、アメリカの場合、キリスト教が現役で、熱心な信者がとても多く、ピンピンしている、まだ生きた信仰なのです。それが、社会のいろいろなところに顔を出し、政治も経済も社会もキリスト教抜きには考えられない、語れないのです。ですから、有力な補助線であるこのキリスト教の知識がないと、アメリカのことを考え損なってしまうのです。でもほとんどの日本の人々が考え損なっているのではないかと非常に心配になって、この本を書きました。
●アメリカの「分断」は今、始まったものではない
―― 私にとっても非常に印象深いところばかりの本でしたが、拝読していてとりわけ印象深い先生のメッセージがありました。「アメリカ社会は分断されている。それは、教会の分断である」という内容です。最近のアメリカ政治に対して、「アメリカの分断が深まっている」「アメリカは分断している」ということを言われる方もいますが、橋爪先生のお見立てによると、そもそもアメリカは分断した社会だということになるのでしょうか。
橋爪 アメリカが分断されているのは今に始まったことではなく、この国の出発点からのことです。独立したのは18世紀の後半ですが、植民地ができたのは17世紀の初めでした。そして、独立までの150年、1世紀以上にわたる分断、分断、また分断。独立してからも分断、分断、また分断だったのです。
南北戦争もありました。直接は教会の争いではありませんが、奴隷などいろいろな問題をめぐって、戦争が始まる前には教会が南北に分裂しています。教会が分裂したので、いよいよ戦争になる、という順番です。今でも教会は、お互いに意見が違って、どの宗派も他の宗派と揉めています。そのことがわからないといけない。
―― そうしたアメリカの基本的な社会の動きが(日本人にはよく)わからないですし、例えばここにお書きになっている中絶をめぐる問題のように、アメリカが本質的なところで割れてしまうのも、全て、ある意味では宗派の違いによるということになるのでしょうか。
橋爪 宗派の違いでいうと、大きな分裂はまずプロテスタントとカトリックです。
イギリスからはじめに移民したのがプロテスタントで、カトリックはほとんどいませんでした。イギリスの植民地にはカトリックはおらず、プロテスタントかイングランド国教会かという二択でした。
ところが、イギリスの植民地をぐるっと囲むような形で、フランスの植民地がありました。カナダやルイジアナなどがそうです。フランスはカトリックで、フランスがいろいろイギリス植民地に嫌がらせをする。インディアンと攻めてくる。カトリック対プロテスタントという形になるわけです。
●カトリック対プロテスタントだけではない教会の対立
橋爪 それで、アメリカの考え方からすると、カトリック教会は「アンチキリスト」で、あんなものはキリスト教ではない、むしろ悪魔の手先だということで立ち入り禁止にされるほどでした。
―― そこまで強いものなのですね。
橋爪 そうです。独立戦争のあとになってやっと公然と礼拝していいようになりましたが、それ以前そのような感じでした。ですから、カトリックの人びとはアメリカに移民をしても肩身が狭かった。それ以来の伝統ですから、...
(橋爪大三郎著、光文社新書)