●最澄の瞑想「法華止観」はいかに行われたか
鎌田 さて、これが有名な最澄さんの肖像画です。この肖像画の最澄さんは非常に美しい。最澄さんの持っているキャラクターが非常に静まって、しーんと瞑想している。
―― お顔が本当にそういう顔ですね。
鎌田 そうですね。澄明な、美しい姿形、瞑想の形です。そして、禅の法界定印を結びながら瞑想をしている。これは宇宙を瞑想する最澄です。
ではどういう宇宙を構想していたのか。実際に最澄の時代には、今現在国宝になっている根本中堂というものはなかったはずで、「一乗止観院」という、法華一乗を修行する場があった。「法華止観」ですね。「止観」は、禅の「ヴィパッサナー瞑想」のようなものにつながっていくものです。(延暦寺の前身は)摩訶止観、大止観、小止観という止観の修行道場、つまり瞑想道場だということになっております。
―― 止観というのはどう理解すればよろしいですか。
鎌田 それは瞑想ですね。
―― 瞑想を意味するということですか。
鎌田 三昧と止観。三昧のほうは「サマータ」といって集中していくことです。例えば密教でいえば、「阿字観瞑想」は阿字をイメージして、その中にグッと投入していく集中瞑想です。ヴィパッサナーは内観で、自分の意識や心の動きというものを内観していく。だから、観を止める止観というのは、要するに無の状態になって止まることにはなるわけですけれど、なかなかそこには至らず、意識は動き回ります。
心の状態や感情の状態として、お腹が空いたら「お腹空いた」みたいなものが出てきます。そういうものをくまなく瞑想するのが止観ということになる。今風にいうと、止観はマインドフルネスということになります。ヴィパッサナー瞑想は、初期仏教、あるいは今のミャンマー、スリランカ、タイなどのテーラワーダ仏教で行われる瞑想法になります。
●千手千眼観音という理想の姿と「真如」
鎌田 そこで、『法華経』に戻ります。私は『法華経』を壮大なスペースオペラないしスペースファンタジーだと考えています。この地球あるいは宇宙そのものを非常にダイナミックに捉えて、そこにおける救済が展開されている。その布教の中で、菩薩という存在が非常に重要な役割を果たしていく。
菩薩の代表選手は千手千眼観音の姿になって、日本では例...