●大乗の教えによってすべては救われるという「法華一乗」
―― 前回先生からお話があった「一乗思想」について、今回はお聞きしていきたいと思います。この一乗思想というのは、何か日本に独特とまでは言わなくとも特徴的なものはあるのでしょうか。
賴住 はい。今言っていただいた一乗思想は、法華経に基づく思想です。法華経には「一乗」と「三乗」の区別があります。三乗とは何かというと、「声聞乗」「縁覚乗」「菩薩乗」と三つに分かれているのです。
声聞乗は、お釈迦さまの声を聞いて修行をしていたお弟子さんたちということです。
―― 「声を聞く」と書く「声聞」ですね。
賴住 そうです。これはいわゆる小乗仏教の人たちです。
縁覚乗というのは、「縁を覚(かく)する(さとる)」と書くように、縁起の思想を自分で考え、山の中にこもって修行している人たちということで、これも小乗仏教です。要するに声聞乗・縁覚乗は小乗のことなのです。
菩薩乗はまさに大乗です。大乗仏教の中でも、実は二つ考え方があって、「小乗になってしまったら、その人はもう絶対に救われない」という考え方と、「小乗の人たちでも、大乗の教えに帰依すれば救われる」という考え方の二つがありました。
最澄は、まさに「法華一乗」と言いまして、三乗それぞれ違っていても、最終的には一つの教え、法華経すなわち大乗の教えによってすべては救われるという考え方だったのです。
●多くの僧が求めた法華経の魅力
実は南都六宗の一つに「法相宗」という宗派がございます。
―― 奈良ですから南都ですね。
賴住 はい、そうですね。法相宗は、奈良時代や平安時代に非常に大きな影響力を持っていた宗派です。この法相宗では、「三乗の違いは絶対的であり、もし小乗仏教を信仰してしまったら、もう二度と大乗では救われない」という考え方でした。
ところが、法相宗から徳一(とくいつ)という僧が出て、最澄と論争します。結局どちらが勝ったかよく分からない論争ですが、最澄のほうは法華一乗の立場を非常に強く打ち出して、「あらゆる人が救われる」ということを、強く主張していきます。
日本の仏教を見た場合、法華経の影響は非常に強くあります。私たちは法華経というと、天台宗や日蓮の題目「南無妙法蓮華経」などを思い浮かべますが、決して一部の僧だけではなく、浄土系以外のあらゆる僧が基本的に法華経を勉強し、それを非常に重視しています。
例えば道元なども、法華経の一節を自分の主著である『正法眼蔵』で引用して展開したりします。『正法眼蔵』の中には、まさに法華経から取った「諸法実相」という言葉を使った巻があります。そのようにいろいろな僧侶が法華経を重視するのは、法華経の中の「一乗思想」がいう「あらゆるものが救われる」教えが非常に日本人に受け入れられ、法華経の教えを学ぶことで、そういう教えや考え方をさらに深められるということがあるのではないかと思います。
最初のシリーズ講義のほうで聖徳太子のことを申し上げましたが、聖徳太子がつくったといわれている『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』の中にも、法華経の「法華義疏(ほっけぎしょ)」といわれている法華経の注釈書がございます。
―― これは、いわゆる注釈書ですね。
賴住 はい。注釈書がつくられたということから見ても、非常に早い時期から法華経が日本人に興味を持たれ、宗派を超えて非常に広く読まれていたことが分かると思います。そのように宗派を超えて読まれている法華経を非常に深く学び、研究し、それを中心に自分の宗派をつくっていったのが、まさにこの最澄という人だったといえようかと思います。
●最澄が重視した涅槃経の言葉「一切衆生悉有仏性」
―― なるほど。さらに次の文章にまいりたいと思いますが、まさに先ほど先生からも言及のあった「一切衆生悉有仏性」という言葉です。これが涅槃経の言葉になるのですか。
賴住 そうですね。この言葉自身は涅槃経の言葉になりますが、最澄は法華経と同時に涅槃経も大変重視しております。この言葉は、最澄が自分の思想を展開していくうえで非常に重視していた言葉ということになります。
「一切衆生」というのは、人間だけではなく、生きとし生けるものすべてということですが、みな「仏性」すなわち仏の本質を持っている。だから修行すれば仏になれる、と一般的には考えられています。
「涅槃教」では「みんながそういう仏の本質を持っている」と言っていて、それを最澄も受け継いでいることになります。
―― これは逆にいうと、そうでない考え、「人間にしか悟れない」などの違う考え方もあるということですね。
賴住 そうですね。先ほど申し上げましたように、例えば小乗仏...