豊臣秀次事件に対する見方を変えた『武功夜話』だが、実は偽書疑惑もある。今回は、そのことに鋭く迫っていく。『武功夜話』は、豊臣秀吉に仕えて大名まで上り詰めた前野長康の功績を中心に記された史料だが、その発表・出版の経緯から、「偽書ではないか」と疑われることになった。しかし、中村氏は有用な史料ではないかと考えている。はたして、その理由とは。(2025年4月26日開催:早稲田大学Life Redesign College〈LRC〉講座より、全7話中第5話)
※司会者:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●主を持たない野武士集団・蜂須賀党と前野家
中村 では、『武功夜話』という史料を残した前野家とは何者でしょうか。前野将右衛門長康という人が初代で、この前野将右衛門という人は蜂須賀小六正勝(の義兄弟です)。蜂須賀小六はかなり知られた人で、蜂須賀党を形成していました。
美濃と尾張の境には、(江戸~明治の改修以前には)大蛇のようなすさまじい川が3本、網状に綯い合わさるような形で流れていました。長良川、揖斐川、木曽川です。今でもどの川の流れなのか分からないような大変な水門がたくさんありますが、その合流地点につくられたのが墨俣一夜城です。また、これらの川の水運を利用して物資を運んだり、上流の木を切り筏に組んで下流に流して稼いだりといったことをしていたのが、土豪集団の前野党と蜂須賀党でした。
要するに、彼らは主君を持たない野武士集団で、1000人程度の子分たちを養う、たいへん面倒見のいい人々でした。子ども向けの太閤記を見ると、蜂須賀小六を「盗賊の親分」としたものがありますが、あれは少し蜂須賀に失礼です。ただ主を持たない武士団と考えるべきです。
秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていて、家臣も100人程度しか持っていなかった頃に、蜂須賀小六とともに秀吉を助けて美濃攻めを全国的に支援したのが前野家と蜂須賀家です。彼らは、その功績により木下家に採用され、その後いろいろな活躍をして、豊臣政権の中で大名に成長していきました。
その前野長康を初代とする前野家の文書が(『武功夜話』に)集積されているということです。長康は最終的には但馬の出石5万7千石と江州の近江大和、合計10万石の大名になりました。(ちなみに、)蜂須賀小六正勝のほうは徳島17万5000石。しかし、自分はもう老いたので引退してもよいかと(申し出て)、秀吉が了解したので、阿波徳島藩(藩祖)は蜂須賀正勝の倅(せがれ)の家政という人になります。
いずれにしても、主持ちではなかった、いわゆる野武士のリーダーだった者たちが、20万近い大大名に出世するというドラマが秀吉のもとで起こっていたわけです。その前野家の文書がこれ(『武功夜話』)です。ですから、豊臣家の創成期のことから、かなり詳しく書かれています。
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