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「ほんとうの幸福をさがす」ジョバンニの決意と青の世界

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を読む(4)「ほんとうの幸福」

鎌田東二
京都大学名誉教授
情報・テキスト
ブルカニロ博士がジョバンニに見せるふしぎな世界は、仏教に基づく人間意識の変遷を表すものだと鎌田氏は言う。色彩や光が与える効果も相まって、非常に謎めいたメッセージが届けられるが、そこには仏教的な世界観による宮沢賢治の表現がちりばめられている。そして、「ほんとうのほんとうの幸福」をさがしに行こうと決意するジョバンニ。この幸福に対して賢治はどういうイメージを持っていたのか。光のメタファーとこころの状態を読み解いていく。(全6話中第4話:2022年7月28日開催ウェビナー〈宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を読む〉より)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:16:51
収録日:2022/07/28
追加日:2023/03/27
タグ:
≪全文≫

●人間の意識の段階を見つめてきた仏教


―― 今のお話の続きで、この「セロのような声」の人が、自分の持っている本を示します。何を示すかというと、ここには地理と歴史が書いてあるのだといいます。

 例えば「これが紀元前二千二百年の地理と歴史だ」というのですが、「その当時の人たちが信じていた地理と歴史」をまとめたのが、この本だといいます。

 そのお話がずっと続いていって、「紀元前一千年。だいぶ、地理も歴史も変わってるだろう」これは、紀元前一千年の人たちはこういうふうに考えていたということだよ、となります。

 「ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこころもちをしずかにしてごらん。いいか」と呼びかけて、ジョバンニにふしぎな世界を見せるのです。

 「そのひとは指を一本あげてしずかにそれをおろしました。するといきなりジョバンニは自分というものが、じぶんの考えというものが、汽車やその学者や天の川や、みんないっしょにぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなって、そしてその一つがぽかっとともると、あらゆる広い世界ががらんとひらけ、あらゆる歴史がそなわり、すっと消えると、もうがらんとした、ただもうそれっきりになってしまうのを見ました。だんだんそれが早くなって、まもなくすっかりもとのとおりになりました」

 このように、謎めいたシーンがまた続いています。

鎌田 この謎めいた文章は、人間の意識の段階を指しているように私には思えます。意識は高度の状態からグラデーションをなしているという考え方を、仏教は持っています。そういう仏教のこころ、意識のグラデーションの考え方を反映しているのではないでしょうか。

 法華経の世界では「十界互具」論、あるいは「十界論)」というものがあり、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、声聞・縁覚・菩薩・仏」というように、仏の世界と地獄の世界がグラデーションをなしています。

 もう一つの考え方として、空海の「十住心論」のように、低次な意識の段階からだんだんだんだん進んで、高次な意識の段階まで10段階あるという考え方があります。その最高の意識の段階が「秘密荘厳心」という大日如来のこころの状態、意識の状態です。仏教の世界観では、このような意識の階層性を持っています。また、瞑想によって自分のこころを分析し、観察していくと、どんどん深い部分へ到達し、より底にあるものが観じられて(見えてきて)奥底に達する。そういう経験を、仏教は瞑想とともにやってきたのだと思います。


●唯識的な瞑想世界を呈示したブルカニロ博士


鎌田 特に重要なのは、「ぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなって」というところです。普通の意識であれば、可視的に見えるものと自分のこころの中にあるものは分裂していて違うので、こころの状態は見えるものと見えないものだけです。しかし、仏教の場合は、第七識・末那識(まなしき)、第八識・阿頼耶識(あらやしき)を経て第九識、第十識というこころの意識の深みのようなものへ、ずっと入り込んでいくわけです。

 阿頼耶識の出てくる「唯識論」をベースにすると、先ほど言ったように、大きい大きい宇宙の電気エネルギーのようなもの、真正エネルギーのようなものがバーッと流れていて、そういうものがパッ、パッ、パッと電灯のように点いたり消えたりする。それが、われわれの認知の構造の世界であるとする。

 だから、ブルカニロ博士が指を上げて、それをすっと下ろすと、そういう世界の1ページが次のシーンにポーンと飛んだり、また消えたりするし、スクリーンの幕が下りて、何にもないがらんとしたものになったりする。そのようなこころの世界の変化、変容がこの表現の中に現れています。これは、まさに仏教的な世界観の、賢治的な表現だと思います。

 賢治の「心象スケッチ」と称した『春と修羅』の序文では、みんなが有機交流電燈や因果交流電燈のひとつの青い照明で、ついたり消えたり、せはしくせはしく行き来している。そういう存在は、あらゆる幽霊の透明な複合体である(編注:原文では「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといっしょに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です/(ひかりはたもち その電燈は失はれ)」)といった、これもふしぎな言い方をしています。

 そういう部分と、この『銀河鉄道の夜』の中の表現は、はっきり...
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