●人間の意識の段階を見つめてきた仏教
―― 今のお話の続きで、この「セロのような声」の人が、自分の持っている本を示します。何を示すかというと、ここには地理と歴史が書いてあるのだといいます。
例えば「これが紀元前二千二百年の地理と歴史だ」というのですが、「その当時の人たちが信じていた地理と歴史」をまとめたのが、この本だといいます。
そのお話がずっと続いていって、「紀元前一千年。だいぶ、地理も歴史も変わってるだろう」これは、紀元前一千年の人たちはこういうふうに考えていたということだよ、となります。
「ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこころもちをしずかにしてごらん。いいか」と呼びかけて、ジョバンニにふしぎな世界を見せるのです。
「そのひとは指を一本あげてしずかにそれをおろしました。するといきなりジョバンニは自分というものが、じぶんの考えというものが、汽車やその学者や天の川や、みんないっしょにぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなって、そしてその一つがぽかっとともると、あらゆる広い世界ががらんとひらけ、あらゆる歴史がそなわり、すっと消えると、もうがらんとした、ただもうそれっきりになってしまうのを見ました。だんだんそれが早くなって、まもなくすっかりもとのとおりになりました」
このように、謎めいたシーンがまた続いています。
鎌田 この謎めいた文章は、人間の意識の段階を指しているように私には思えます。意識は高度の状態からグラデーションをなしているという考え方を、仏教は持っています。そういう仏教のこころ、意識のグラデーションの考え方を反映しているのではないでしょうか。
法華経の世界では「十界互具」論、あるいは「十界論)」というものがあり、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、声聞・縁覚・菩薩・仏」というように、仏の世界と地獄の世界がグラデーションをなしています。
もう一つの考え方として、空海の「十住心論」のように、低次な意識の段階からだんだんだんだん進んで、高次な意識の段階まで10段階あるという考え方があります。その最高の意識の段...